9月末に野村證券中国の投資銀行部門の王仲何(Charles Wang Zhonghe)が出国禁止になったという報道があったが、拘束はされていないという。何人かからこれって何なの?身柄拘束されてないって意味不明?というご質問を受けたので多少の補足のためにこの記事を書くことにした。王に対してとられた措置が本稿のテーマであるいわゆる”边控”、边境控制(そのまま訳すと辺境コントロール?になるが、出入国規制とでも訳するのが適当だろう)の略称だ。

最近では8月にも中国の人権活動家が韓国にジェットスキーで逃げて現地で拘束された事件があったが、若干のバカ話に聞こえるこの件、あとはとても可哀想な例だが日本にも関わる別の人権活動家唐吉田氏の件の背景にもこの边控がある(とはいえ、ジェットスキー氏の件についてはなんでまた地続きではない韓国に行こうとしたはかなり謎である)。眉にたくさん唾をつけて読むべきかもしれないが、5月には海外派出所ネタをバズらせたNGOのSafeguard Defendersが边控をテーマにしたレポートを発行している。

これまで外国人への適用例があまり多くない(また後述のように経済事案などの容疑者であれば措置自体はそこまで異常ではないし、外国人だから適用されないという話でもなかろう)せいか、あまり知られていない制度かもしれない。これと年頭の某製薬会社役員の拘束のようないわゆる国家安全やスパイ罪該当者とは制度的には直接はリンクしないことに、まず注意する必要がある。边控は拘束への道ではなく、あくまで国外逃亡への予防的措置として適用されるのが本筋だ。

ただこの边控の対象範囲は特に外国人が気にしがちな人権派や反共産党人士への弾圧のカードとして大きく広がる(広がった)可能性がある。具体的には後半で紹介する。

そもそもどんな規制なの?法制度面での建付け

勿論ここは法律解説をメインとしていないので正確性は保証されない前提ではあるが(あとすみません根拠法とかの全文確認とかのめんどくさいことは省略していますので、推測を含みます)、まず”政治与法律”という業界誌記事に掲載されている論文をもとに、その建付けを見ていきたい。まずこの措置は中国の法執行体系がたっぷり含む曖昧さの集合体のようで、実はひとつの法律に依拠しておらず、178もの法律や通知が関係しているという(以下の表はその論文に掲載されていた主な関連法規)。

国家レベル地方レベル、行政機関ごと、法律条文規定なのか司法解釈なのかなど色々あってごちゃついているが、まとめれば边控の理由にはいくつかのカテゴリがある。それは民事司法、刑事司法、国家安全、行政執行の4種だ。

簡単に言えば前2者は捜査対象となっている人物の逃亡を防ぐもので、王仲何の出国禁止はこれが原因だろう(彼の以前の勤務先である工商銀行の当時トップが別の投資銀行の不正に絡んで調査を受けている。現状では本人に嫌疑がかかっているという情報はなく、参考人レベルと思われるが)。19年あたりに孙宇晨(バフェットとのランチ権を落札したと大騒ぎした挙げ句出席できなかったのはまさにこの边控が原因と当時財新に噛みつかれて大騒動に。でも出国停止なのに謎の手段で逃げ切って今でもなぜかTwitterは更新されている模様…)を皮切りに中国の仮想通貨業者の間で出国できなかったという話がいくつか流れていたが、これも恐らく捜査機関がその人物を経済事案の捜査対象にしており、予防的措置として逃亡防止のために出国禁止にされていたのだろう。最後の行政執行は表の行政法規からも脱税や以前の出入国で問題を起こしている、といったケースが考えられる(とはいえ税関関係の問題で入国ではなく出国禁止にするというケースはあまり想定できない気もするが)。また法律事務所がウェブサイトに掲載している情報ではあるが、民事訴訟の被告側を逃さないために原告側から边控を申請することも可能のようだ。

それぞれの規定毎に幅があるが基本的に期間は1-3ヶ月とされ、特別な理由がある場合はその理由の根拠となる法律の定めにより期間が延長される、らしい。こういった規定をみると案外まともかも?と思うかもしれないが、もちろん(?)大きな問題がいくつかある。まずひとつが、対象となった本人に対し事前通知義務がないということだ(移民管理局公式サイトにご丁寧に用意されたFAQに「自分で知る方法はありません」と書かれている)。一応規定上「書面または口頭で」とあるが発行されてからXX日以内といった性質ではないので、事実上空港や国境の出入国管理施設にたどり着き拒否されてはじめて対象者であることを知ることになる。ただ個人的にはこれは故意に対象者に負担をかけるための制度というよりは根拠となる法律が複雑すぎて、本人通知のシステムが共通化されていない(というか法律側でそこまで細かいことが規定されておらず、出入国管理担当者が持つブラックリストに載って初めて各種原因の禁足情報が集約される)ためのバグな気はする。とはいえたいがいにおいて国境(空港)は自分の家から遠いわけだから迷惑な話だ。あと大部分は飛行機なわけで事前に買ったチケットもぱあになる。いや、本人的にはそれどころではないだろうけれども。

そしてもうひとつの問題が、自分に何が適用されているかわからない関係上いつになったら解けるのかもまたわからないことだ。原則上最大3ヶ月とは思っても、いつ開始された措置なのか、延長されたのかされないのかなども公開されることはない。毎回脱出チャレンジのために高い航空券は買いたくないのが人情というものだろう。

反スパイ法による強化?

適用理由としてもっとも懸念されているのが3番目「国家安全」だ。その名の通りの国家安全法という法律の話題でも出てくる(例えばちょっと古いが日本語ではここで論じられている)が、中国政府は国家安全を極めて広い範囲で定義しており(というか広すぎてもはや定義していないも同じだ)、制度そのものの不透明性に加えて中国あるあるの「曖昧なルール定義と現場における『柔軟』な対応」も相まって、結局は「あいつ目障り」と思われたら捕まってしまうことになる。「中国は法治国家だ」と中国政府は言うが、これは中国語と他の言語の間によくある「言葉は同じだが意味はまったく違う」例のひとつであり、外国人は自らの常識で勝手に「法治」の意味を定義してはならない。愛人とは愛する人のことであり、決して既婚者の婚外パートナーのことではないのだ。

これまではあくまで予防的装置的位置づけで拘束もされないので、根性がある程度入った活動家の感覚ではワンアウト(スリーアウトまではまだ残機があるという意味で…)くらいのものだったわけだが、それが変わりつつある(または変わった)、らしい。7月に施行された「反スパイ法」がその原因とされている。

この法律、実は事前のけしからん外国メディアどもの大騒ぎのわりには3ヶ月経っても適用第一号が現れず(秦刚のケースがそれだという人もいるが、あれは何も公になっていない)、繰り返しになるが運用からの推測でしか意図を測れない中国の法律という性質上、ケースが出てこないので何をテーマにした法律なのかがいまだ曖昧なまま…という状況で、はじめて名指しされているのを見たという意味でも興味深い。

・・・・

具体的には、第3章の三十三条から三十五条が該当だ。原文は法令全文リンクを読んでいただくとして、こちらには参考和訳を掲載する。

第三章 調査処置

第三十三条 出国後国家安全に危害をもたらす、あるいは国家の利益に重大な損失を与える可能性がある中国国民について、国務院国家安全主管部門は一定期間の出国不許可を決定し、移民管理機構に通知することができる。スパイ行為に至った人員に関して省級以上の国家安全機関が移民管理機構に出国不許可を通知することができる。

第三十四条 入国後中華人民共和国の国家安全活動に危害を及ぼす可能性がある外国人員について、国務院国家安全主管部門は移民管理機構に入国不許可を通知することができる。

第三十五条 国家安全機関が出入国を禁止するむね通知した人員に関して、移民管理機構は関連国家規定にしたがって執行する。出入国禁止の状況が消失したのち、国家安全機関は不許可を取り消し、移民管理機構に通知する。

・・・・

いまの問題は三十三条が非常に広範に、気軽に適用されている、という点だ。耳にした事例では、7月以降国家安全を理由に(通知はされないとはいえ、これで引っかかる人はみな当然自覚がある)出国を禁じられた人が増えているという。活動家などの本人だけではなく家族なども含めて、特に地上の国境線沿い地域に近づいた(別に国境の街までいかなくても例えば雲南省に旅行にいった)とか、地理的に空港に近づいただけで警告を受けるといった例が報告されている。ジェットスキー氏は元々他の手段を考えていたところ、こうした警告を受けて「決断」した可能性はある。これから中国国内においてこうした人々への抑圧が弱くなることは考えられず、出国の手段を奪われればカゴの中で嬲り殺しになる、と思い詰める人はいるだろう。

条文にあるように、反スパイ法を根拠にした出国禁止に関しては外国籍は対象ではない(ただし別の法律、または反スパイ以外の国家安全関連を理由にされる可能性は否定できない。あと本稿の重点ではないが、将来的には三十四条を根拠として日本国籍の問題人物が入国できない例はあるかもしれない。まあ入れてしまって中で捕まるよりはマシなのかもしれないが)。とはいえ他人事と思わず、そんなこともあるんだなと少しだけ記憶の隅にとどめていただければ幸いだ。雑な言い方に聞こえるかもしれないが、意見が違うんだから逃げること位許してやれよと思わなくもないが、逃げた後に安全地帯からやいのやいの言われることに耐えられない、ということらしい。

余談:辺境と国境

ところで、中国語にも「国境」という言葉はあるのに、なぜ「边境」控制なのだろう。実は一般的にも日本語の「国境」を指す際には「边境」が使われる。でもたとえば英語では国境=Borderと辺境=Marginalでまったく異なる。こうした文化的コンテキストの上で成り立つ事柄に対して合理的・論理的な説明を行うことは困難(大体仮説の成否の検証も不可能だ)だが一応は「辺境」をその名に掲げている当サイトであるわけだし、おまけとして少しだけ自分の考えを述べておきたい。友人たちと話して2つ仮説を考えた。

仮説①: 中国は多数の国と国境問題を抱えている。アジア特有のハイコンテクストな(物事を直接的に言わない)文化も相まって、「国境」というと角が立つのでわざと婉曲的に「辺境」という表現に留めている。

仮説②: 中国と多くの隣接国は古来から基本的に対等ではなく、朝貢などに代表される上下関係だった。中国は周辺国を野蛮な夷狄(未開人)とみなし見下していて、他国との境界を「辺境」という呼び方にはそうした中華思想的差別意識が投影されている。

どちらが正解という話ではないが、例えば新疆ウイグル自治区の「疆」もまた「果て」「境界」といった意味がある。雲南だって字だけを見れば「雲の南」、つまり漠然と「遠くの方」という意味だ(さらに余談だが日本の地名もこうして字ひとつひとつの意味を考えると改めてその美しさを感じたりもする)。地続きで他国と接する中国にとって外国とは辺境にあるものという意識だった、ということだとすると結構面白いのかもしれない。

さらにおまけ

密出国についてtwitter上で結構面白い書き込みがあった。たしかに出国したはいいが多くの人はそこがゴールではない。その先で入国証明がとれないと結局次の出国もできないし、下手したら現地警察に捕まって強制送還でゲームオーバーになってしまう。だから物理的に逃げるだけではダメで、必ず新しい身分の取得が必要になる(ただ全体として真実性はもちろんわからないし、当然推奨するものではないので自己責任でね)。他にもSNSをちょっと探すだけでベトナムへの脱出を手伝うアカウント(3回の分割払いでいいらしい)や、自分も業者なのに同業者の宣伝手法や差別化について分析しているアカウントなど、結構面白いものがあったりもする。上で公式にはないことになっているが、実は自分が边控の対象者になっているかを調べる方法もあったりするが、別にそうしたものを幇助したいわけではないのでここには記さない。各自頑張って生き抜いてほしい。