報道とはどうあるべきなのだろう。

起こった事実を伝えるのは報道の役目だというのは当然ではあるが、それは編集を拒否するものではないという事もまた当然だ。速報性に重きを置いた事実の垂れ流しはひとつの方法として否定はされないが(例えば生中継はそうだし、ネット上のものでも例えばログミーやTwitterでの中継などが当てはまろう)、基本的には重要度に応じて整理され補足された編集済の形で読者に届けられるのがもっとも効率的だ。

ではよりよく伝える為にどの程度情報を補足すべきなのか、またどの程度取捨選択するべきなのか。そこに絶対的な解は存在しないし、「わかりやすくするための補足」が本来の情報をゆがませてしまうリスクも同時に存在する。伝える側にとって究極の読者像は「すべての知識を持ち全ての事象を正確に判断できる、あとは判断に必要な情報だけ」であろうが、我々は鏡を見ればわかるように皆怠け者で、これはまったく現実的ではない。

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中国の報道への批判でよくあるのは「大本営発表の垂れ流しで政治や社会の暗黒面については触れない、批判しない」といったものだろう。ただしこれは「彼ら」にとっては批判として成立していない。なぜならこの国でのメディアは正しく宣伝機関であり、党報は普通の会社で言う社内報のようなものだからだ。
そうであればそこに発行側にとって不都合な事など必要とされないし書かれないのはあまりに当然であり、批判をする方が前提をはき違えている…ということになる。勿論汚職取り締まりなども掲載される事もあるが、それはあくまで「杀鸡儆猴(日本語で言う一罰百戒)」の具でしかない。

これが根本的に正しいのか、或いは欧米や日本のメディアが正しくジャーナリストであるのかは横に置いておくとして、このような「報道を宣伝の一部と位置付ける」方法は、見方を変えると冒頭にあった「編集」の力を極端に醜い形で最大化したものと捉える事もできる。これはある種の逆転で、多少乱暴に言ってしまえば通常「何が起こっているか」が先にあり、そこからの学びやメッセージがその後生まれてくるはずが、こうしたケースでは「どんなメッセージを報じたいか」を先に考え、それにあった素材(ニュース)を集めてくるという事になっているからだ。

ただ一見「そりゃないだろ」と思えるかもしれないこのやりかたも、言葉を変えて「編集側が仮説やテーマを持ってライターや記者に指示をする」という言い方にすると、途端に何の問題もない…どころかそれをしていないと批判されるような、とても真っ当な編集方針に化けてしまう。…つまり、これらは全て程度問題にしか過ぎないのだ。だからこそ都合のいい絶対的な正解など存在せず、現場のプロたちも毎日苦心してそのバランスをとっている。

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今日紹介するのは去年起こった好奇心日報休刊問題(過去に「「好奇心」の死と静寂」という記事を書いた)の際、追悼文を発して巻き添えでアカウントを凍結された「新闻实验室(ニュース実験室)」の記事だ。このアカウントと筆者の背景は以前の記事を見ていただくとして、収入にダイレクトに影響するPVに追われる形で蔓延する「聞き心地の良い事実の一部を切り取ってショーアップする」というバズ狙いの病と、共産党が広めようとする「正能量(=ポジティブエナジー)」的価値観への迎合が組み合わさると何が起きるかを鋭利な形で批判している。後者はこの国特有としても前者は日本もふくめて世界中で起こっている問題であり、その意味でも読んでおく価値があると思う。

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訳文を読んだだけでは伝わらない部分もあるかと思うので内容を簡単に紹介しておこう。筆者の方可成はもともと新聞記者で、非常に真っ当な(ひょっとしたらもう数少ない、絶滅寸前の)ジャーナリストと言っていいだろう。その彼がこの記事で批判している「青年大院」というアカウントは名前を表に出していないものの咪蒙という作家というか…まあいわゆるインフルエンサー(どのような人物かは日本語でも例えばここで解説を読む事ができる)の会社で、文中で紹介されているように上海での自殺事件に関する煽情的な記事がもとで炎上し、アカウントを一度封鎖されている。

この咪蒙は文章、Papi酱は動画における成功者だと並べて紹介される機会もあるが、今回だけでなくPVを追求するあまりかなり適当な文章をばらまいているアカウントという印象ではある(だから以前翻訳して紹介した記事でも「バカが読む文章」といった雰囲気で紹介されている)。ただ一方、この記事のヒットに見られるようにPVを引き寄せるライティングや話題の選び方に関する能力は高いことも残念ながら事実だ。今回批判されている文章についても内容が非常に偏っておりバンザイ感まるだしの気持ち悪さである事を除けば、単なる文章としては読ませるものに仕上がっていると言わざるを得ない。

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批判されている記事は今回翻訳してないので、簡単に紹介する。

記事ではまずオーストラリアの山火事の悲惨さを紹介した後、こうした災害に対応するためには消防設備や技術だけでなくそれを扱う人も大切、としたうえで、「大火事だが、人権の自由とやらがあるので政府も消防士もみんな決められた通りクリスマス休暇取ってて仕事しませんでした」「国が燃えて民が悲しんでいるのに花火大会に3200万元つっこんで『お祝い』していました」「首相は結婚式に出席するためにハワイで楽しそうにしていました」「泣くんじゃない、お前らが一票投じて選んだリーダーだろ」とオーストリアの対応を痛罵。

この衛星写真はフェイク認定済みだが、記事の中では平気で使われている

そして中国の33年前の大火事において、「設備などが十分にない状況に置かれた消防士が24時間不眠不休で対応した結果211人の消防士を失いながらも消し止めた。」「隣国のロシアまで延焼したがロシアは指をくわえていて何もしなかった。」といった心温まるストーリーの他、近年の上海などで起きた火災などでの消防士の英雄的・献身的な行動を紹介し、「もしオーストラリアの山火事のようなことが中国で起きたとしてもまったく問題ない。もしこんなことが起きたら中央の上層部が自ら前線で指揮しているだろうし、そこに消火部隊や救援のための軍隊を加えれば、ついでに台湾解放だってできちゃうだろう。だって中国の消防は技術じゃなくて責任感・使命感・愛だからね☆彡」と述べる(もはや最後の台湾はなぜ出てきたか意味がわからない)。
そして締めのセリフがまたパンチが効いている。「看着那些在大火里慢慢烧死的考拉们,我真希望若有来世,愿你们生在中国,做个可爱的熊猫。(あの大火事でゆっくり焼け死ぬしかなかったかわいそうなコアラにもし来世があるとしたら、ぜひ中国に生まれ変わって可愛いパンダになってほしい)

この紹介を書くために再度読んだが、これは「政府の英断」「現場の公務員の自己献身的な奮闘」「民主的な価値観はあまりに利己的でクソ」という非常によくある切り口の「中国のオフィシャルな」文章であり、これ人民日報の記事かと思わせる。しかし、感情に訴えるという意味では写真や言葉の選びかたなどはうまく読んでいて非常にざわざわする記事でもある。

ここであげられているエピソードそれぞれの真偽についてはここでは触れないが、他のSNSで目にしたものをいくつか紹介しておこう。「211人の消防士」については実は消防士ではなく、被災者を含む数であるということが一点(犠牲になった消防士の数を水増しする事で公務員の犠牲を強調している)。また、フェイクであると判定されているオーストラリアの衛星写真を載せたりもしている。彼らにとっては素材となるエピソードそれぞれが事実かどうかなどどうでもよく、心地よい、伝えたい「メッセージ」さえ強くインパクトある形で伝わればあとはどうでもいいということが非常によく伝わってくる。まあ、彼らが自分を報道機関だと思っているかは、甚だ疑わしいのではあるが。

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なお、新闻实验室の記事は投稿初日午前は「閲覧はできるがシェアが不可能」という不思議な状態、そして当日夜の内に「プラットフォームの規定に違反した」ということで閲覧ができない状態になった。また、本件が原因かはわからないが、新闻实验室の主宰である方可成の微博アカウントも現時点で凍結されている。

 

方可成の微博アカウントがサイト内検索で出てこないので百度の検索結果経由でアクセスしたところ、「関連法規に違反したため閲覧できない」という表示が。

一方、批判された側の青年大院の文章はまだ閲覧可能であるだけでなく、人民日報を始めとした政府側の公式アカウント(ちなみに人民日報の微信公式アカウントは中国でもっとも影響力が高い)に転載され、広がり続けている。

適当なネット素材を(高度な編集力で)切り貼りした忖度フェイクニュースが党の公式アカウントに転載され2000万人に読まれ、その一面性と誤りを冷静に指摘した記事は削除され、筆者のアカウントは凍結される。この国においてどちらが正しいと評価されているのか、この事実がよく表しているだろう。

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個人的に最も虚しいと思ったのは、共青団中央までもがこの青年大院の記事を転載していた事だ。

中国青年報は共青団の機関紙だ。そして方可成がこの記事の中で真のジャーナリストとして讃えたのも33年前の中国青年報だった。33年後の今、彼らはPV稼ぎのためのクソ記事をせっせと転載しているのだ。

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申し訳ないが、33年前のあの大火事は決して勝利の凱歌などではなかった

出典:对不起,33年前的那场大火绝不是一曲凯歌 (1/13 新闻实验室。中文版はこちらから画像として表示できる)

数か月にわたって続いているオーストラリアの山火事は全世界の注目を集めている。この災害が引き起こしたのは生態系の保護や救援対応多くの方面で人々に反省を余儀なくさせた。

中国語のSNSにおいてとある記事がオーストラリアの山火事と1987年に中国で起こった大火事を比較し、「双10万+(閲読量とイイネ数10万以上)」を獲得している。微信のグループに流れるバックエンドのスクリーンショットと思われるものには1月1日2午前の段階ですでに閲読量が2300万を越え、イイネ数は30万を越えさらに今でも増加中という。これはスーパーヒットと言っていいだろう。

この「没有澳洲这场大火,我都不知道中国33年前这么牛逼!(オーストラリアの山火事がなかったら、33年前の中国がこんなにスゴいとは知らなかった)」と題されたこの記事は全く歴史というものを尊重する事もなく、大兴安岭大火事の教訓の痛みを単なる消防員の英雄的行動のおとぎ話に貶めている。国を挙げて上も下も心を痛めた大災害を「33年前に中国はこんなにすごかった」事の証拠として使うというこのやり口には困惑させられるし、このような歴史に対する無知は心が痛い。

私はニュースコミュニケーションの研究者であり、この1987年の大兴安岭で起こった大火事についての報道が中国ニュース史における「古典」である事からその事情を了解している。また北京大学で学んでいた際、当時報じたデスク本人がその歴史を語るのを聞いてもいる。

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1987年5月6日黒竜江省にある大兴安岭で、建国以来最も深刻な森林火災が起こった。この大火事は1か月近く燃え続け、101万ヘクタールの森林を飲み込み、大兴安岭は1/5の林を失う事になる。200人近い人が火によって亡くなり、5万人余りが住む場所を失った。

大火事が始まって1週間後の5月14日、中国青年報の記者が現場に到着し、報道を始めた。中国青年報は共青団中央の機関誌であり、大きな影響力と高い信頼を誇る。この記者たちが出発する前、社の同僚たちは彼らに念を押すように「覚えておけ、もう二度と悲しみの歌を賛歌に仕立ててはいけない!」と伝えていた。なぜ同僚はこのような事を言ったのだろうか?青年報の記者が事後にまとめたところによると、当時の中国における災害報道の方式は「小さな災害は小さな歌、大きな災害は大勝利といった具合に悲劇を喜ばしい事として伝え、記者の神秘的な筆に掛かると、起こるすべては共産主義への賛歌となる」といった具合で、これが当時の業界にはびこるやり方だった。

後に、改革開放を背景として報道の規律も重視されるようになると、メディア人の中の優秀な一部の層はこうした報道のやり方に強い不満を覚えるようになった。当時この報道の責任者を務めた青年報の国内部副主任である杨浪は「みなの意識は明確だった。災害は災害だ。もし災害を凱歌に仕立ててあげてしまったら、それは災害の上にさらに災害を加える事にもなる」。このような考えとともに、記者たちは前線で事実を丹念に掘り起こし、真相にたどり着いた。

当時の実際の報道を見ると「火災の発生と延焼は、政府関係者の官僚主義的なやりかたと切り離すことはできない」「山火事がまだ燃えている時、漠河县政府は上級の役人が視察に来るからとわざわざ人を送って市内の清掃をさせた」「漠河县の街の廃墟の中で、奇跡的に村長と消防署長の一家が住む赤レンガの建物が崩れずに残っていた。周りの人がいうには、署長たちは消防車とブルドーザーを勝手に使って自分の家を保護した」といった文字が並ぶ。青年報はそのまとめとして「報道班はこの度の大火事について天災であるだけでなく、人災であると振聋发聩(耳の聞こえない人でも聞こえるくらいの大声で)言いたい」「罪は硬直した官僚主義にあり、我々の硬直した体制こそがその官僚主義を生んだ。この火事では焼け死ぬ必要のない人が焼け死んだのだ」と述べた。この報道は「赤色の警告」「黒色の詠嘆」「緑色の悲哀」3つの記事に分割して掲載され、三色報道と称された。

「三色報道」は掲載後大きな賛辞を浴び、その年の全国好新闻特别奖(全国報道特別賞)を受賞もした。青年報はとある湖北の読者が新聞社に送った手紙の中で「私はいままで、我が国の記者とやらは天下泰平を糊塗する存在だと思っていた。しかし読み終わってはじめて、君たちを当代最高の戦士と呼んでなんの恥ずべきところもないと気付かされた」と述べたことを紹介している。

中国報道史上、災害報道のメルクマールであり、災害報道がファクトを元に行われるべきだという事を訴えたこの「三色報道」は非常に重要な位置を占めている。

事実に基づき、考察の積み重ねを行うという精神で山火事を報道したのは青年報だけではない。人民日報も同じく報じた。人民日報の経験豊富なメディア人である祝华新の記述によれば、「人民日報は64もの記事を報道し、1か月にも満たない期間の中で22日間ものあいだ、この火事のニュースは人民日報のトップを飾り続けた」。

その中のひとつの長編記事では、比較的直接的な表現でこのような事が書かれている。「多くの事実が示すのはこれが全く予想不可能な天災ではなかったということだ。人々が憤慨し、或いは涙したこの災害は起こるべきではないものだった。もし万が一起こったとしても、このような深刻な被害になるべきものではなかった」

人民日報の魏亚南記者もまた村長と消防署長の自宅が奇跡的に焼け残っている奇跡をさらにいくつかの詳細な情報を追加しながら報道している。例えば村長の家に隔離帯を引くためにまだ火がついているわけでもない2軒の民家を潰した、といった。

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当時の歴史的な制約の下では、このような報道を行う事は当然のことながら簡単な事ではない。発想において自由さ柔軟さが必要なだけでなく、現実的に多くの困難を乗り越えなければならない。当時この三色報道に参加した実習生贾永はその後も報道の世界に身を置き、後に新华社解放军分社の社長になった。彼は当時の様子を振り返り、「現場地域では少なくない役人や組織が『ニュース封鎖』の硬直した考えを持っており、現場での取材は困難を極めた」。しかし青年報の記者たちは制限や妨害を前にして諦める事は決してなかった。「チーム4人の内、雷收麦だけが40歳近かったが、それ以外は若者だった。そして皆規制線を越えての取材の経験もあり肉体的にも頑強だった。困難であることはわかっていたが自分を信じて証拠収集を行った。火事現場、ゴミ捨て場、廃墟、それに記者、放水手、ブルドーザーの運転手…昼間は粘り強く役所の様々な部門を駆け回り、夜は40人もの被災者が眠るテントで一緒に過ごしたという。

大火事に見舞われた漠河村

贾永は「人々が社会における重大事件を知る権利を守るため」に危険を冒し、様々な困難の中でも取材活動をつづけたという。取材を続けるうち、当初はある人々(訳注:事態隠蔽を図った役人)の権威を恐れて証言してくれなかった被災者も徐々に心を開いて自分の率直な気持ちを語ってくれるようになった。
後に長江報道賞受賞する事になる記者叶研は旅游局招待所のレストランで人々が大いに食べ酒を飲んでいる様子を撮影したところ、旅游局局長を始めとする20人以上に邪魔され、何人かは殴られたと回想する。「しかも殴った方は不問で、殴られたほうが警察に呼び出されて二日も取り調べを受ける羽目になった」。

現場で一か月以上走り回りようやく記者は取材を終えて新聞社に戻り記事を書いた。後の青年報による振り返りの記事によるとちょうどその頃の北京は暑い盛りで雷收麦と贾永は青年報の近くの一晩3角5分の安宿の地下に泊まり、40袋以上のインスタント麺を食べたという。贾永は腹を下さないように5斤の食糧配給券を使ってニンニクと交換したという。

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ところで、「没有澳洲这场大火,我都不知道中国33年前这么牛逼!」という記事を掲載したアカウントは、「青年大院」という。これは実は以前、事実と異なる事を書いた咎で封鎖された某有名アカウントの転生した姿だ。この青年大院という名前をタップして詳細を見れば運営主体が北京浮光跃金文化传媒有限公司という会社であることがわかる。

もう一回この会社の名前をタップすると、それが「今夜90后」の転生アカであることがわかる。

しかしよく見ると、記事ページのヘッダ画像とタイトルには「90’s tonight」という本来のアカウントを表す文字も入っており、何かに違反しているわけではない。「今夜90后」は「在这个从小躺赢到大的女人面前,杨超越真的不算锦鲤……」という記事があたって数十万のフォロワーを獲得した。しかし作者が事実を捏造しているという疑いがあり、それに関しては新闻实验室でも分析記事を書いている。

しばらく後、このアカウントは「那个17岁的上海少年决定跳桥自杀」という記事の中で、上海の卢浦大桥で起きた自殺事件について「推測式」の報道を行い読者を激怒させ、最終的にはアカウント停止に追い込まれた。

求人サイトを見ると今でもこの会社が誇らしげに「今夜90后」の挙げた数字的成果を掲載し、また「まったく新しい公众号を作って再出発する」旨書いているのを目にする事ができる。

アカウントは新しいものだが、しかしこのやり口は見慣れたレシピの見慣れた味だ。中でも感慨深いのは上でも書いた「小さな災いは小さな歌、大きな災いは大勝利」といった33年前に既に中国の報道業界から淘汰されたやり口だ。21世紀に入って20年も経とうとしている今日、PVを頼りに「90后」を旗印にした自媒体が再び歴史のゴミ箱の中からこの言葉を引っ張り出して使い始めたという事だ
私はこの「今夜90后」のチームに言いたい。当時の杨浪、雷收麦、李伟中、叶研、贾永、魏亚南という高いプロ意識と職業精神を持った記者たちが掘り起こした事実、直面した真相、そして悪弊への思索こそが33年前のこの歴史の最も牛逼(すごい、ここでは青年大院の記事のタイトルに合わせて故意に下品な表現を使っている)なところだ。安っぽい感動で反省を拒み、それらでアクセス数を生む行為は33年前のあの悲劇を最も無責任に消費するものだ、と。