中国ではFacebookやTwitterを見ることができないということは、比較的良く知られている。政府が特定のサイトやサービスを見れないように命令するということは僕たちの感覚の外にあるから、とかく「怖い監視国家・社会主義だし」と思いがちである。しかし現地に降り立ち一定の時間をすごしてみると、生活上でそうした息苦しさを感じることはほぼない。

確かに外国のニュースではノーベル平和賞をとった某氏が病院から移送され結局亡くなったただの、政府に抗議した弁護士が拘束されて戻ってこないだの色々物騒なニュースを見ることはある。だがそれはあくまで(多くは別の言語で見る)メディアの中の世界で、わが身とは遠く離れた場所の出来事でしかない。
しかもそうした情報は、多くの場合は自分から探さないと出てこない。逆に、自分で検索するならばUFOもネッシーもイルミナティの陰謀もその実在の「証拠」を見つけることができるのが、このインターネットの世の中であることも事実だ。

たまに誤解されるが、中国ではFacebookは禁止されているものの、直ちに法律に抵触するわけではない。従ってそれを理由に逮捕されることはない。また、私人がレストランで友人と食事をしながら政府を批判しても、秘密警察に連れ去られて拷問されるようなことはない。中国はそこまで息苦しい場所ではない。

 

しかし、痛みが身体が発する生命の危険信号であるとするならば、息苦しさを感じない不自由というものも、実は非常に危険な状態なのかもしれない。

 

今日紹介する文章は、とある微信のアカウントで発せられた文章だ。検索するかぎり、特に政治的な内容を取り扱うアカウントではない(フォロワー数は仕様上公開されないため不明)。タイムスタンプから見ると11日遅くに公開されたようで、僕はその翌朝、友人が転載していたものを読んだ。しかし翌日午後少なくとも16時ごろには「関係の法律及び規定に違反したため」削除されてしまった。

この文章は今の中国の若者の気持ちをうまく表現したいい文章だと思う。そしてこうした事態にあうごとに毎回思うが、このような政府批判でもなんでもない気持ちを吐露しただけの文章までも削除する姿勢は、やはりどこか歪んでいる。

なお文章中にはあまり日本語で報道されていない最近の事件などが数多く出てくるため、できる限り簡潔に訳注を加えている。

 

2017、私たちはこのような中国を生きる。

出典:2017、我们生于这样的中国(林木木/ ただし削除済)

14年、Instagramが禁止された日のことをありありと覚えている。

それはある朝のこと、私とルームメイトが9時ごろ起きてきてベッドの上で携帯をいじっていた時、友達が突然「Insが見れなくなった」と言い出した。まだうとうとしていた私の兄は突然覚醒して「おいマジかよ!?」といって自分のInstagramを開こうとして、開けないことに気づいた。彼はその時狂ったようにあの芸能人を追いかけていてInstagram上でその情報を追いかけることが必要だったから、その反応は強烈だった。

そして学校が始まると、みな授業中にVPNの使い方についてやりとりをするようになった。

別に大きな影響があったわけではない。VPNをダウンロードして、こうやってこうやってこうやればいい。みんなそんなに気にしたわけではなかった。

次に新浪微盘がサービス終了を宣言し,金山快盘もサービス終了を宣言し,360云盘もサービス終了を宣言したときも、別に大きな影響があったわけではない。だけど、ある日自分の百度云盘(訳注:いずれもクラウドストレージ大手)を開いて映画”Lust Caution(色戒)”が削除されたと知った時、PCの前で気を失いそうになった。なぜならこの映画は一番好きな監督が特別好きな作家が書いた一番好きな物語を映画化した作品で、一番好きな男優と一番好きな女優が出演し、李安(この映画の監督)は実直な芸術家で、初期の作品は大胆に政治制度について述べていたものの、その後は彼の作品に政治的暗喩を見つけることは難しくなった。

· · · ·

A站(訳注:B站、即ちBiliBiliと並ぶ大手オタク系動画サイトAC Funの愛称)が停められたあの日は、会社で同僚と一緒に悪態をつきながら残業中だった(A站は何度か停止させられているが、ここでは恐らく6月22日に出版・情報関係の管理部門である广电总局がフェニックステレビ、新浪微博とともに名指しで動画放映を禁止した件を指す)。彼はとても人柄もよくかわいらしい男だったが、ニュースのウィンドウが出てきたとき、手を止めて呆然とした様子で頭を振りながら「クソ、俺は本当に移民しなきゃならない」といった。

私は手を止めずに作業を続けながら「これはそんな大騒ぎするようなこと?」といった。

その後私は思いつくままに今年起こった面白いことを口に出した。例えば最高人民法廷が「司法の独立」といった間違った考え方に断固反対するといったことの影響である(訳注:この件は日本でもずいぶん報道された。例えば朝日新聞のこの記事など)とか、教育部が「又紅又専(=社会主義に忠実で、専門性の高い人材)」な人材を育てるべきだといったとか、あとは少し前に、毒舌电影や严肃八卦を含む有名なゴシップアカウントが削除されたこととか。

私は言ったのだ。すべてのことには予兆があり、今日起こったことも、ずっと前からとっくに始まっていたことなんだ、と。

彼は驚いた様子で「そういうのは全部公開された情報なのか?その司法の独立は西側文化の誤ったなんとかかんとかとか」と私に訊いた。

移民するとか、俺は台湾人だとか一日中喚いていた、まあ見たところ政府を欠片も信じている様子のない男の子は、それでもこれが政府の関係部門が公開の場で述べたことだとは信じられない様子だった。

それを確かめた後、彼はすっかり落ち込んだ様子で「どうすりゃいいのよ…」とつぶやいた。

私は言った。「まずそのグラフィックを仕上げること。終わって家に帰るのもキレるのも好きにすればいいよ」。

· · · ·

私は、本当に驚いてなどいなかった。北京電影学院のセクハラ事件(とある学生が実名でセクハラを告発したところ、逆に微博のアカウントを凍結させられるなどした事件。告発の引き金となった台湾の女性作家の自殺や、容疑者がカンヌ映画祭の審査員なども務める有名映画監督ジャジャンクーの元妻の父であるなど、色々話題が豊富)や上海南京路のデモの件(おそらく住宅政策に反発して6月に発生したデモ。上海のもっとも有名な観光スポットでのデモは前代未聞であったことから話題になった。日本語でも例えば共同が記事にしている)が凍結されたのも、たった数日前の出来事だ。

電影学院の件はもう少し話題が続く可能性はあるけれども、南京路の件は3時間後には、一切何も情報がなくなった。まるで何も起こらなかったかのように。

 

色々な事件は、まるで起こらなかったかのようだ。

 

多くの子供たちは、世界にはGoogle,Instagram, Twitterがある事を知らない。もし彼らが一生国外に出る機会がなく、今のこの環境の下で育ったら、自分たちが知るこの世界がすべてであると考え、それを毛ほども疑うことはないだろう。きっとすべての事が正常で、当然であると思うだろう。だって、彼らは別のものを見たことがなく、他の可能性を知らないのだから。

まだ分別のわからない子供は別として、たとえ新世代の若者であっても、自分たちが文明的な世界で暮らしていると思っている青少年は、イケメン美女がたくさん出てくる夏至未至(訳注:今年放映されたドラマ)を自由に見て、”致贱人”や”致LOW逼”(訳注:以前紹介した文章にもちらっと出てきたネット有名人咪蒙による文章)を自由に読んで道理だ、美しいと感じているのかもしれない。

私にはそういった人たちをうまく説得する自信がない。ただ彼らがいつかこの土地を離れる機会があり、携帯を取り出し他に何の操作もしなくてもInstagram,Twitter,Tumblrに繋がることを知った時自由の意味を知ることがあるといいなと思う。別にデモや抗議、請願をひとつひとつ仔細に見てほしいわけではない。人は檻の中で暮らす時間が長ければ檻を束縛と知ることはないし、生まれつき跪いているなら、それが当然の姿勢とすら思うかもしれない。

我々はこのように育てられ、このような人になるのだ。

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大量のエンタメ系アカウントが凍結されたニュース(訳注:上述の毒舌电影や严肃八卦などの件)を聞いて多くの人はこのカスがついに退治された、と快哉をあげていた。私は笑いたくなった。いいぞいいぞという人の大部分は一方で彼らを罵りながら、一方で興奮しながら彼らの文章を転載していた。一方でやつらは他人のプライバシーを侵すと罵りながら、一方でそれを見て大喜びしていたのだ。

やれやれ。

それらのアカウントが凍結されたこと自体は私もほっとした。心の底から、微博热搜(訳注:検索ホットワードランキング)に二度と誰がカミングアウトしたとか彼が女を買ったとかそういった言葉が並ばないでほしいと思う。誰しもが人には見せられないような面を持っているし、高尚な人なんかじゃない以上、そしてお互いにそれを監督するのも不可能であるのなら、それをある程度、お互いに許容するしかない。しかしこの件で改めて思ったのは、角度を変えてみてみると、私たちが生きているこの環境は、もし誰かがあなたに口を噤んでほしいと思えば、ただ口を噤むしかない。あなたに死んでほしいと思えば、ただ死ぬしかないのだ。

· · · ·

その後、あの金曜夜、友達が微信グループに男子卓球中国代表のニュースについての情報を投稿した(訳注:総監督であった劉国梁を更迭する人事に抗議して選手3人が国際試合をボイコット、微博上で声明を発表し消された事件)。その他の友達の反応は

「彼らは処分された?」
「また何があったんだ」
「なんだかよくわからん、結果さえよければいい」
「完全にどうしようもない」

私は今回も意外だとは思わなかったが、非常につらい気持ちだった。心の中では常に「これが私が生きている国だ」という声が繰り返し渦巻いていた。何でこの国がこうなってしまったのかわからない。何で私の口を塞ぎにくるのか、目を塞ぎに来るのか、何で私たちの生活はこんなに狭苦しいのか。私はまるでひとつの狭い場所に押し込められたかのようで、そしてその場所は常に縮み、狭くなり続けている。

窒息感。蓋をされたような窒息感。私たちは多くのものにずいぶん前から不満を持ってきたけれども、誰もそれと戦おうとはしてこなかった。または、戦った人がいるとしても大きな影響力を持つことはなかったので、そもそもそれについて深く考えることすらなかった。しかしどのような結果であれ、今回の代表選手の反応とその戦いを私たちは幸いにも目にすることが出来た。

ある人が急に、長々とした文章でこのような抗議活動にいかに意味がないかを説きはじめた。その中で彼らがどう上にいい顔をするべきか、どのように回り道をするべきかなどと述べていた。私は本当に彼らを諌めたかった。そんなにあせるべきではない。すべての人が皆、こんなことが無意味であると知っている。私たちはみなこの国の制度の中で生きている。このように予め定められた決まりの中で長く生きれば、誰もわざわざ人にそのようなことを教えることなどしない。自分のことを頭がいい、人にどのように保身をすればいいか教えることが出来ると思っている人がいるのは明らかに…笑えるし、悲しい。

私も最近やっと、このように媚を売りそれをひけらかすようなことが出来る人が実在するんだということを信じられるようになった。

· · · ·

スポーツ選手は、他の誰より自分の行為がどのような結果を招くかわかっているはずだ。しかし自分が悪臭を放つだけではなく、周囲にいるきれいな人にさえ自分と同じ悪臭を移したがる人もいる。

まさにみんなが私に言うように、私がする一切のことにも意味などないし、私自身それをわかっている。だけど少なくとも私はしたこと、話したこととあなたがしなかったこと、そこには区別が生まれる。あなたが私より高尚であるとは限らないし、頭がいいとも限らない。あのような行為が私たちの国を、私たちの社会を更によいものにするのかどうか、誰にも確かなことはいえない。しかし、私とあなたの間には区別があるはずだ。

わざわざ回り道をしたり、一時的な妥協したり、お利口な沈黙を持って自分の利益を確保することは、暗黒面への屈服だ。皆もうわかっているように、政策、法律、条例、信仰などはすべてユートピア的なものだ。この世では力があるものだけが、意味があるのだ。

もし今のような状態が続き、文化的な書物の発売禁止が続き、多くの映画が去勢され、意見を発するグループの声が奪われ、その反面暗い箱の中での闘争が抑えきれなくなり、最後の幕さえ捲り上げられ、汚いものがすべて陽光の元に引き出された時、私たちの国はどうなるのだろうか。その頃には私たちはとっくに死に絶えているのかもしれないが。

しかしあなたが本当にこの国を愛しているなら、もしそのような日が最後に訪れたとして、あなたは自分にもその責任があると思うかもしれない。そして、その時に至るまで自分が何もしなかったことに恥ずかしさを覚えるかもしれない。

· · · ·

私はこの国を愛している。ここが私が生きる場所で、私の祖先が眠る場所で、私が没頭する文化も、首っ丈になる言葉も、私を熱くさせる歴史も、その一方心を痛めるような暗部もある。私はこれまで、決してこの国を「あなたたちの国」と言ったことはないし、そのようなむごく薄情な気持ちをもったこともない。

私はこの国が豊かに繁栄して欲しい。穏やかに調和して欲しい。どのような矛盾も、聡明で実務に長けた政府が解決してくれると信じているし、国民みな幸福で健康、大伙儿撸起袖子加油干(訳注:17年頭の习近平主席の挨拶に出てきた言葉で「腕をまくって頑張ろう 」といった意味)、一緒にがんばって世界で最も強大な国をつくっていきたいと思っている。

多くの人は、私を本当の愛国者と信じてはくれない。

以前はこのような事を書く時には常に怒りがあった。涙を流しながら書き進めていた。しかし今回はとても穏やかだ。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。

 

———————-以下原文————————

我还很清楚地记得14年ins刚被封时的场景。

那是个早晨,我和室友们睡到九点多醒来,躺在床上玩手机,突然有个人说:“ins被封掉了”,然后本来还迷迷糊糊的我二哥突然清醒了,说:“卧槽,真的?”,然后开始刷自己的ins,发现刷不出来了。她那时候好像疯狂地追哪个明星,需要在ins上看他的动态,所以反应很强烈。

接下来我们去上课,大家在课上开始交流VPN的用法。

没有太大的影响,下个VPN,该怎么玩怎么玩呗,没什么人在乎这件事。

接下来新浪微盘宣布关闭,金山快盘宣布关闭,360云盘宣布关闭,也没有太大影响,直到我有一天打开我的百度云盘,发现我的《色戒》被删除的时候,我差点气死在电脑前面——那是我最喜欢的导演拍了我特别喜欢的作家笔下我最喜欢的一个故事,由我最喜欢的男演员和特别喜欢的女演员来演绎,李安是个老实又谦逊的文艺工作者,早起的作品里大胆地讨论政治制度,后来很难察觉他作品中对政治的隐喻。

· · · ·

A站被封停的那天下午,我正在公司加班,和隔壁工位的同事一边干活儿一边对怼,那是个非常善良可爱的男孩儿,消息弹窗出来的时候,他停下手里的活儿,歪着头趴在工位上说,卧槽我真的要移民了。

我一边干活儿一边说,这种事的发生,还值得这么大惊小怪么?

然后我随口说了一些发生在今年的趣事,比如最高法表示要坚决抵制“司法独立”等错误思潮的影响,比如教育部表示要培养又红又专的接班人,比如不久前一大批娱乐八卦账号包括“毒舌电影”和“严肃八卦”被封停。

我告诉他,一切早有预兆,况且今天发生的事,其实很多年前就发生过了。

他非常惊讶地问我:“那些话,都是公开说的吗,司法独立是西方文化糟粕什么的”

一个整天嚷嚷着移民,自称是台湾人,看起来对政府毫无信心的男孩子,竟然也不敢相信这话是相关部门公开表达的。

得到了确定的答案后,他没头没脑地问我:“怎么办啊?”

我说你?紧把图做完吧,做完就可以下班了烦死了。

· · · ·

我是真的不觉得惊讶了,北影性侵事件遭到冷冻,上海南京路抗议游行遭到冷冻这都仅仅是几天前的事,如果北影事件还存在发酵的时间,那南京路事件几乎在3个小时内就没有了任何消息,这件事好像从来没有发生过。

很多事都好像从来没有发生过。

像很多小孩子,他们根本不知道世界上有Google、ins、twitter这些东西,如果他们一辈子没有机会出境,在现在的环境下成长起来,那么毫无疑问他们觉得自己拥有的就是全世界,一定觉得一切都是正常的,是理所当然的。因为他们没有见过别的东西,不知道另外一种可能性。

不去谈尚未长大的小孩子,即使是如今的年轻一代,也不乏觉得自己生活在文明土地上的青年人,他们觉得自己还在自由地看《夏至未至》,多么美好,俊男靓女;还在自由地阅读《致贱人》、《致LOW逼》,多么美好,句句在理!

你没有任何办法说服他们,只希望他们离开这片土地,掏出手机不需要任何其他操作就可以直接刷新ins,刷新twitter,刷新tumblr的时候,能恍然大悟自由的意味,甚至不需要目睹一场游行,一次抗议,一场请愿。人在笼子里待久了,不知道笼子是束缚,人从出生就跪着,会以为这是理所当然的姿态。

我们被喂养什么,就成为了什么样的人。

· · · ·

大量娱乐账号被封停的消息乍一出,是一件大快人心的事,很多人都觉得这些渣滓终于被惩治了,我只是觉得很好笑,叫好的人里很大一部分曾经都是一边骂着这些狗仔一边兴奋地围着他们转,一边骂他们侵犯个人隐私,一边看到爆料就两眼放光。

装什么装。

这些账号被封我也挺欣慰的,非常希望微博热搜再也别是这个出轨那个嫖娼了,谁都有点见不得人的事,既然都不是什么高尚的人,没办法相互监督的话,也就相互容忍一下吧。但换个角度,我也感受到,我们生活的这个环境,如果有人想让你闭嘴,你就得闭嘴,想让你死,你就必须死。

· · · ·

紧接着,那个周五晚上,朋友在群里分享了国乒男队集体发声的新闻,朋友们的反应是:

“他们得受处分了吧”

“又出什么事了”

“没啥用,希望有个好结果吧”

“一点办法也没有”

虽然我一点都不觉得意外,但还是很难过,心里总有个声音反反复复地念叨:“这是我生活的国家啊”,这个声音响一遍,我就难过一下,我不知道我的国家怎么变成这样了,为什么有人要紧紧捂住我的嘴,遮住我的眼睛,为什么我生活的环境不断狭窄,我像被装进一个套子里,而这个套子还在不断地收紧。

窒息感,铺天盖地的窒息感,许多东西我们早已感到不满,但一直以来没有人抗争,或者说抗争的人都没有太大的影响力,根本不足为虑,而这一次国乒的反应,让我们有幸见证到一次有力的抗争,尽管并不会有什么结果。

有人急着跳出来,长篇大论说明男队退赛这种抗议的无用,教育他们应该怎样媚上,怎样迂回,我很想劝劝他们,别这么着急,所有人都知道这种行为没有用,我们都在这个国度,这个体制,这些约定俗成的规矩下生活了很多年,谁都不必苦口婆心地去教育谁,自以为理智高明教别人明哲保身的人,只会显得……很可笑也很可悲。

我也是最近才相信,真的有人把媚上作为一种自鸣得意的技巧四处?耀的。

· · · ·

运动员甚至比所有人更清楚自己的行为会造成的后果,有人自己活得恶臭就算了,还想教育洁身自好的人也像他那样恶臭。

就好比总有人说我,我做的一切也没有用,我自己当然也很清楚。但我说了,我做了,你没有,就把我们区别了开来。未必我比你高尚,未必你比我理智,哪种行为能让我们的国家我们我的社会变得更美好谁也说不清,但你与我,就在此时被区分开来。

不要试图用反复迂回、暂时妥协和乖巧的沉默来争取自己的权益,那都是对阴暗面的屈服,尤其你应该已经意识到了,政策、法规、条例、信仰都是非常乌托邦的东西,权利才是唯一权威的力量。

如果现状持续下去,如果文化上越来越多书籍被禁止再版,越来越多影片被阉割,越来越多的发声群体被禁言,很多从前在暗箱里的斗争越来越压抑不住,甚至激烈到最后一层遮羞布也被掀翻,那些龌龊和脏都被摆到台前来,那我们的国家是会烂掉的,虽然那个时候我们可能早都死了。

但如果你真的爱这个国家,当你想到那一天的时候,你还是会觉得自己有责任,你会为自己此刻什么都没做觉得羞愧。

· · · ·

我是爱这个国家的,这是我生活的土地,埋葬着我的祖先,有我醉心的文化,痴迷的语言,让我无数次热血澎湃的历史,也有让我痛心甚至痛苦的脏,我至今从来没有说过“你国”这个词,我狠不下这个心。

我希望它长久地繁荣富强,稳定和谐,任何矛盾都有聪明又务实的政府来化解,人民幸福安康,敬业乐业,大伙儿撸起袖子加油干,咱们也扬眉吐气,做世界上最强大的国家。

很多人都不相信我是真的爱这个国家。

从前说起这些我经常很愤怒,写着写着会掉眼泪,但这次我非常平静。

谢谢你能看到这里。

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