中国における同性愛の位置づけは非常に微妙なものがある。ポジティブにいえば同性愛を「ソドミー(自然な男女の性行為に反する、冒涜的な行為)」と位置付けるキリスト教の影響を受けていないため、思想的に社会からの忌避感は少ないといえなくもない。

しかし伝統的な家庭観が強い地域もまた多く、「子を成さない同性愛は異常である」という考え方もまだまだ根強い。そうした社会通念もあり、同性愛は97年までは「流氓(チンピラ)罪」という法律で取り締まられる対象でもあった(なおこの法律は同性愛をターゲットにしたものではなく「社会道徳を乱すものを取り締まる」というかなりあいまいで客観性を欠いた法律だったこともあり97年に廃止され、公衆猥褻や乱闘など一部の内容はより具体的な個別の法律に引き継がれている)。

幸いというかなんというか、中国の国としての価値観のベースである社会主義は特別に同性愛を排除しているわけではない。ただし、他国同様AIDSの流行が一時期深刻でありその際ゲイがその中心とみなされたこと、またゲイは「西側資本主義の享楽的な価値観や過分な人権意識に毒された結果である」という見方もあったことから、政治的にも触るのに気を使わなければいけない問題のひとつではありつづけている。

そうしたことから国内でも絶対的なNGではないが推奨されるものでもなく、温度差も大きい。ゲイ向けアプリの経営者が総理と握手できるような非常に開放的な雰囲気がある反面、驚くような偏見・差別もまた存在する。近年一番話題になったのは18年4月にSNS微博が同性愛に関する投稿を削除したことと、それの反発から起きた騒動だろうか(ほかの部分を見ればわかるように、当時の微博側の意図としてはやおいなど創作表現上の過剰な同性愛行為の美化などの排除だったと推察はできるが、敏感な話題に対するコミュニケーションとしては非常に配慮を欠くものだった)。

18年4月に微博の運営側が突然同性愛関連の投稿を規制すると通告した際の投稿。多くの議論を呼んだ。

なお近現代の中国における同性愛の歴史や受容についてはそれだけで専門の研究が多くあるが、ここでは踏み込まない。また同性愛以外の多様な性のありかた(特に少数派の中では相対的に恵まれているゲイとその他のマイノリティの格差や摩擦)やその中での地位の差異についても非常に複雑で議論も多いがここでは触れない。

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今日紹介するのは、ある大学生が教科書の同性愛に関する記述について異議を申し立てたという話題だ。前述のような同性愛を取り巻く複雑な見方に加え、教科書という書物は(日本同様)一般的な書物と影響範囲が違い、場合によってはある出来事に対する国としての公式な見方や考え方を表すことにもなる、非常に重要なものと位置付けられる。では、その教科書の記述に明らかな問題があった場合はどうすればよいのだろう?簡単に解決できる問題ではなくなってしまう。経緯を紹介しよう。

2016年、当時大学二年生の学生が広東省広州市の暨南(ジーナン)大学出版局が出版した教科書「大学生心理健康教育」の中で、同性愛を「よく見られる心理障害」の一種として記述していることを発見した(暨南大学は華僑留学生が多く、省内で中山大学と並ぶ名門といっていい)。以下が入手した実際の教科書の該当部分だ(のちに述べるようにすでに重版の際に該当部分は変更されているが、旧版も上記より入手可能)。

「同性愛とは同じ性別の間の恋愛および性的関係が発生する行為を指す。人類絶対多数の性愛方式と比較すると同性愛は性愛におけるある種の無秩序または性愛対象の倒錯であるといえる。同性愛は古代からずっとあるもので、世界のすべての地域、社会制度の異なる国家においても存在する。分布から見ると、同性愛はすべての社会階層、都市と農村のいずれにも存在し、また公開のものだけでなく隠れている同性愛者というものも存在する。統計によれば同性愛は総人口の5-10%を占めるとされる(電子版P466-467 第7章3節2項「よく見られる心理障害」より)」。

この教科書の中では同性愛を「性愛方面の一種の無秩序または性愛対象の倒錯」と記述(該当部分全訳は上記参照)。同じ項目では異性装、窃視(のぞき)願望、対物性愛と並列して記述されている。これは現在の一般的な社会通念上、確かに違和感を感じる記述だ(こうした性愛傾向はよく使われる精神障害の分類”DSM”などでも障害とされてはいるものの、犯罪行為に及ばない前提の上では、必ず治療すべきものなのかは議論もあると個人的には考えているが…)。

この学生は当初版元に投書しこの点を指摘したところ、出版物を所轄する政府機関である広東省の新闻出版广电局からは「記述内容は我が国の法律や規定に合致しており、同性愛についての記述についても知識として、またはロジックとして誤りは見られない」と回答があった。本題ではないけど、一学生の投書に対してきちんと公式に回答するのは(内容はともかくとして)意外にきちんとしてるなという印象。

学生は続いて教材の編者と話そうとしたものの拒否されたらいまわしに遭い、結局大学と教材を販売していた大手ECプラットフォームの京东を起訴。しかし大学出版社がある広州の裁判所はこれを受理せず、結局京东の法人所在地である江蘇省宿豫区の地裁が受理(ただし地裁のウェブサイトでは裁判記録は見つからず…よくあることだが)。

同性愛の記述が正確かどうかは法律上の争点として成立しないため、原告は出版物の質に関する規定(05年に発行された「图书质量管理规定」)があり、その中で「誤植などが1万分の1を超えると不合格」という文言があるため起訴理由としてこれを利用、「教材には明らかな間違いがあり質が低い」と主張した。

監督官庁による規定の関連部分。第五条に「1万分の1以上の間違いがある場合は不合格」と記述されている。

裁判所はこの申し立てを受けていくつかの専門機関にこの確認を依頼したがすべてに拒否される。それを受けて裁判所側も「これらの機関には判定する資格がない」と逆ギレ(当事者証言がちょっと変なのでこの辺事実関係が混乱)、結果として起訴から3年を経て開廷されないままになっていた。

一方大学側はこの裁判の結果を待たずに該当部分を修正。メディアが出版社の担当に問い合わせたところ「通説に基づいて専門家の意見通り修正しました。誰かさんが何かを言ったから変えたというわけでは絶対ありません」とコメントしている。新バージョンでは「同性愛を病気や心理障害とはみなさない」とCCMD-3に基づき客観的に記述されているとのこと。ちなみにCCMD(精神疾病分類基準)は中国版のDSMのようなものと理解している(が、もし正確でなければご指摘いただければありがたい)。

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結果として該当部分が修正された事自体はよかったものの裁判の方は結局延期延期で開廷されず、4月22日に3回目の延期が決定。おそらくそれに焦れて原告側がメディアに暴露して報道に至ったものと思われる。

裁判は本来は記述内容に関して直接の当事者ではない京东を主な被告として恐らく行われているものと思われる。京东からすると形式上被告とは言え本音は「知るか」だろうし、事実上今後法廷での白黒をはっきりつけた解決は難しいのではないかと思う。

裁判まで起こし相手にプレッシャーをかけることで事実上の勝利を得た、と理解するべきか、裁判での正当な決着が図られないことを法の信頼性の欠如と取るのか、難しいところだ。