ちょうど1年前の両会で放送や映画などを統括する部署广电总局の改革について発表され、その内容をとりあげた(翻訳:国家新闻出版广电总局を取り消し、”国家广播电视总局”を設立する、では「ニュース・出版」と「映画」は誰が管理するのか?)。

簡単に言うと、国務院機構改革により「国家新闻出版广电总局」から「国家广播电视总局」に名前が変わり、その名前から消えたニュース、出版、映画がどこに行ってしまうのか?という予想記事だった。その予想はいずれもどこかの政府組織に併合されるというものだったが、答えはまったく違うものだった。

その後の報道によれば、結局ニュース・出版所轄の国家新闻出版署(国家版権局)及び映画所轄の国家电影局は中央宣伝部の直接管理という事になった。では、中央宣伝部のどこに移動したのか?それが、今日の传媒监管局という部署である。今日はその職掌を紹介した非常に堅苦しい記事を参照しながら、この新しい組織を紹介したい。

中宣部传媒监管局“登场”了 (记者的家 )

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中国特色二重構造政府?

乱暴に紹介すると、社会主義国家である中国の政府機関は「党が思想面で指導し、政府がその実際の事務・運営を行う」という建前の上に成り立っている関係上、多くの組織が「党としての名前」「政府としての名前」ふたつを持っている(この辺の実際については中国政府の内部構造の例にもれずタテマエと実際が混在し、また決まったルールとも外れた運用がされることもあり、また自分の勉強不足もあり、よくわかっていないのが正直なところだ。参考になる論文や資料などあったらご教示いただければ嬉しい)。

しかし今回の組織改編は、政府機関である「国家新闻出版署」と「国家电影局」が党組織である中央宣伝部に移ったという意味で、通常の組織改編の枠を超えている気がする。普通に言えばメディアの管理は事務処理ではなく、思想面での管理の側面がより重要であると判断されたから、といえなくはないだろう。 僕がこうした政府機関について専門的知識が豊富とは言えないのでこれが何を意味するのか、ひょっとしてこれは暫定的措置で今後例えば追って政府組織の名前が付くのか、と言った事について偉そうに何かを述べることができないのが少し悔しいのだが。

中宣部传媒监管局局长 李军(百度百科より)

传媒监管局のトップは元々国家新闻出版广电总局新闻报刊司の司长だった李军が務めている。元々紙媒体監督の部署であり、おそらく改組に従ってスライドしただけの人事であろう(この組織は映画の監督権もついてきているという意味では、昇格なのかもしれない)。 广电总局のウェブサイトの組織図にはまだ新闻报刊司の名前が見られるが…中国ウェブサイトの常、単に更新されていないだけの可能性が強い。

传媒监管局の職掌とは?

この中宣部传媒监管局という部署には新聞社の管理は含まれるが、テレビ、ラジオは含まれないものと思われる。 根拠として挙げられるような明確な資料は見つからないが、そもそもの発端となった昨年3月設立の新しい国家”广播””电视”总局の名前にテレビラジオが入っていること(この組織に切り替わった際、切り離されたものが 传媒监管局 に行っている)、そして設立の際の紹介で「充分发挥广播电视媒体的作用(ラジオ・テレビメディアの作用を十分に発揮)」と書かれている事から、機能はまだこちらに残されていると思われる。

若干蛇足だが、組織の上下でいうと、人民日報は正部級(共産党中央委員会直属)、CCTVは副部級(上級機関である广电总局が 正部級 )であり、中国において一般論として新聞はTVに優越するといえる。 また、インターネットについては旧国家版権局が约谈(ネット上の不良行為の取り締まり)を行っていたので一部を担っているといえるだろう。

映画についても、この組織に移動している。これは実際に「証拠」があり一番わかりやすい。それが以下、映画の前に必ず入るアレだ。

旧版
新板(18年12月12日より)

GIF画像の移り変わりが早く読みにくいかもしれないが、一番下の白い字の部分が変わっていることがわかるだろう。

传媒监管局 という組織の名前は検索でわかる限りでは18年12月頃から表に出始めている(人民网の初出が12/7その前日には温州新闻という地方紙に温州日报を視察している様子が紹介されている)。また、旧部署名である国家版権局は18年11月まで報道に名前が見えるので、おそらく対外的には12月1日設立でないかと思われる。