BYD(比亚迪)をご存知だろうか。電気自動車(EV)売上ではグローバル2位(2017)に入る中国企業で、単にEV製造会社であるというところを越えて、中国で最も成功している企業のひとつと言っても差し支えはないだろう。日本では「ウォーレン・バフェットが投資した会社」として紹介される機会も多い。
そのBYDが、疑獄に揺れている。しかもその中身は現在国外にようやく漏れてきたようなただ金額が大きいだけ、騙されたのがアーセナルなだけの単純な詐欺事件ではない。
ひとりの人が会う相手によって違う身分を使い分け、実在するか自体怪しい自称創業者の妻の代理人が影の大株主を名乗って暗躍し、詐欺の被害者を名乗る代理店は実は裏でその当人に金を貸していて…この「事件」の登場人物はおそらく全員多かれ少なかれ裏があり嘘を付き、しかも確定した情報はなにもない。どの立場から見るかによって同じ人物の役割が違い、浮かび上がる物語も違う、これはそうした事件だ。
本稿では様々な報道を参照し、相互に矛盾する内容については排除もしくは併記し、できるだけ状況から妥当と思われる内容を選んで構成している。また、この件を現在進行形で追いかけているメディアにも事実確認を行っている。
しかし本件は関わる会社や個人も多く、記述や証拠とされるものも多い。それでいて客観的にどの情報が真実か完全に立証する事も難しい。そのために、どの情報を信じるか、また新しい情報によって絵図がまったく変わる可能性も否定できないが、どうかお許し頂きたい。それでも少なくとも、現時点で中国語での報道を含め、最も整理された内容であると自負している。性質上、厳密に書くならばほとんどの内容が「らしい」「のようだ」「と推測される」となるべきだが、本稿では省略する。
本文中には”BYD”と”国金BYD”という2つの似た名称が登場するが、BYDは深センを本社とするいわゆる一般的に知られる方のBYD、国金BYDは上海にある今回焦点となる別会社のことを指す。国金BYDは会社名としては上海BYDを名乗っていたようだが、本物のBYDの上海支部とは別物でわかりにくいので文中ではオフィス名をとって国金BYDで統一している。国金BYDとBYDの関係も今後、この謎を解き明かす鍵になろうと思う。
なお、登場する会社、人物が多くまた複雑なので、出来事を時系列にまとめた表と共に別ページにまとめている(→BYDと国金BYDを巡る疑惑に関わる人物及び年表)。少なくはない情報量だが、PCで横に並べて読んでもらえれば理解の助けにはなると思う。
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BYD「11億元タダ飯ごちそうさまでした。ちなみに社章を偽造した人は社員ではないので、我々には責任はありません」
まず6月13日、7月4日、7月12日、及び7月16日にBYDが公式サイトに投稿した声明から始めよう。
4本の声明を合わせると、大まかな内容は「李娟(リー・ジュエン)という人物により国金BYDの会社印章が偽造され、それを元に多くの広告やプロジェクトが発注されているようだ。また当該人物はBYDに対し上海雨鸿文化传播有限公司という名前を使ってアーセナルのスポンサーを含む様々なプロジェクトを売り込んでいた。特に多くの無料リソースを提供できると言っていたようだ。被害を受けた会社はすぐに関係機関に通報してください」となる。
日本語/英語での報道ではこれをもって「BYDはアーセナルをはじめとしたこうした契約自体が無効もしくは偽装であると主張している」と報道しているようだが、厳密に言うと、ここでは「グループ会社の社章などが偽造され、勝手に契約に使用された」というだけで、契約の有効性については言及していない。これは当事者同士の交渉でBYD側が一旦は一部を認めていること、そもそも後から出てくるが広告にしろアーセナルの一件にせよBYD本社の関与が否定出来ない案件が含まれているためと思われる。
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ここまでをまとめるとBYDにとっては李娟という人物は「雨鸿文化という広告代理店の社員で、勝手に国金BYDの市场部总经理を名乗り、社章などを偽造して協力会社を騙した詐欺師」ということになる。その詐欺の結果として巻き上げた11億元分の広告リソースについては「善意の第三者なのでありがたく頂いただけです」ということになる。
広告業界の慣行として、様々な出稿の見返りに多少の無料枠を提供されることはある。またパッケージ販売の都合上、一部を無料と表記して納品するなどの書面上のテクニックもある。
しかし常識的に考えれば数千億元規模の出稿でもない限り、それが11億元にもなるわけがない。そんな話が通るとは思えないが、現状ではBYD側はこのシナリオで押し通すつもりのようだ。
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代理店「対価なしに11億元分差し出すバカがどこにいるんですか、金払ってください」
しかし、その日の内に上海竞智广告という、この李から発注を受けていたと名乗る会社が怒りの声をあげたところから、話は別の方向に転がり始める。
この会社は証拠とされる写真や書類を挙げながら、この李は国金BYDの社員であるだけでなくBYDの正式な代理人のはずで、この会社は30以上の協力会社に対し、ここ3年で11億元(≒177億円)もの支払いを滞らせており、踏み倒したいorいよいよ払えなくなった(払いたくなくなった)ので、BYDは李一人に責任を被せてケツを捲ろうとしていると主張した。挙げられた証拠には、国金BYDだけでなく、以下のようなBYD本社やディーラーなどが関与していることが示されている。
BYDはアーセナルとの契約についても「そんなことはなかった」と関連する過去のSNS投稿を消し始めた。しかしこのグローバルスポンサーシップについては日本ですら報道されたような出来事で、なかったことにはするのは無理だ。まるで鉄道事故の際に車両を埋めようとしたような行為だが…。特にこの件は上記のように本社の品牌公关部部长が調印に参加している証拠写真もある。おそらく事情をわかっていないPR関係のスタッフが勝手にやったのだとは思うが、いかにも中国らしい雑な処理だ。
代理店側の立場をまとめると、李娟は「(当然BYDグループの一員である)国金BYDの社員でありクライアントであり、雨鸿文化という会社は知らない」(前段のBYDの立場と比較して欲しい)。ということになる。
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ちなみにアーセナルについてはこの事件の本筋ではなく、今後名前は現れない。その件に興味を持ってここまで退屈な文章を読んでいただいた方にサービスの意味も込めて、この契約に関する不可思議な点について触れておこう。BYDとアーセナルの契約は対外的には3年で4500~5000万元と言われていた。しかし実際には120万元(≒2000万円)という異常に安い値段で雨鸿文化からBYDにオファーされていたという。また理由不明だが、この契約書は国金BYDとBYDの二者が署名したもの、国金BYDのみが署名したものの2パターンあると言われている。
当初BYDは同時期に持ち込まれたリーガ・エスパニョーラの協賛が1000万元であったこともあり「安すぎる」と信じなかったようだが、ちょうどアーセナルがシトロエンとの契約を打ち切られた後であったこと、本来の権益の全ては与えないこと、また中国企業をスポンサーとして欲しがっていることなどの説明を受け、最終的には納得してサインしたらしい。
しかし当然この値段はどんな事情があれ不自然で、例えば雨鸿は元々もっと妥当な値段で他社から仕入れて、元々支払うつもりがなかったので不当にダンピングしてBYDに納入したのではないか、といった疑惑が持ち上がる。
ここでもBYDは表面上「安いとは思ったがサービスがいい代理店だと思った」という、ある種とてもおいしい立場ということになる。
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甘い言葉につられて破滅に追いやられた上海衡昆铭
ここまでの話であれば規模こそ大きいものの、利害関係は入り組まない、構造としては単純な詐欺事件だと言える。
しかし数日後、この件を調査していたメディアが実は国金BYD取引先30社の内の少なくとも1社「上海日高」と国金BYDは単なる広告やイベントの受発注にとどまらず、資金上のつながりもある事を報道し始める。国金BYDは多くの裁判を抱えて口座を凍結され、元請けの内の一社である上海日高に対する巨額の支払いが滞っていた。そこで、元々2次請けとして付き合いがあった「上海衡昆铭」という会社に「一時的にこの返済を肩代わりしてくれれば、元請けに引きあげる」と持ちかけ、上海衡昆铭側はその取引を飲んだ。上海衡昆铭は同時に、国金BYDとその返済分に関するかなりの高利の取り決め契約を交わし、一部の金額を受け取った。
肩代わりした分は当然おって国金BYDから上海衡昆铭に戻すべきだが、当然というかなんというか、いつまで経っても支払いは行われなかった。そしてちょうど「国金BYDの李娟は怪しい」といった噂が業界内に流れ、BYD本社の董事長秘書に確認をとったところ「こんな人間は知らないしこの会社は偽物の可能性がある」といった事を聞いたこともあり、また上海衡昆铭から上海日高への支払いがどんどん積み重なったこともあり、最後にはこれを詐欺と判断、警察に通報することになった。
上海衡昆铭の創業者である王欣然はどうやら創業者であるにも関わらず新たに外部の株主を迎えたばかりで持ち分が小さく、その株主たちにBYDという大きなクライアントを失いたくないというプレッシャーをかけられ、結局リスクの大きな肩代わり取引に突っ込んでいったようだ。
しかもこの資金はどうやら貸し倒れた場合王個人まで責任がいくような金だったらしく、結局この国金BYDからの入金がないことで彼は家を取られ、妻と離婚するはめになったという話も流れている。
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雨鸿文化の実質オーナー?「汪晓婷」と李娟の関係
前章までの筋書きにおいて雨鸿文化は、李娟がBYDに売り込むために使った、存在するかすら怪しい社名でしかなかった。しかし調べていくと、この会社は事実存在しており、実質的なオーナー汪晓婷は李娟とも浅からぬ縁があることがわかってくる。
公表されている株主情報では90%の株を持つ冯丽也と10%を持つ瞿建东となっており、この汪晓婷という女性の名前はない。しかしこの疑惑噴出後、汪は最初に告発した竞智などと共に開いた記者会見に参加したりメディアのインタビューに答えており、少なくとも会社を代表する立場ではあることが伺われる。
会社として雨鸿文化は、国金BYDの3社ある元請け広告代理店のひとつとなっている。そのため他社と同じく国金BYDから代金を受け取れず困ってはいるようだ。しかし他社と違うのは汪晓婷の存在だろう。
成都商报のインタビューで汪自身が述べているように、おそらく2014-15年頃、上海搜易广告传媒有限公司という名前の会社で李娟と汪晓婷は同僚だった。李娟はそのうち正体不明の陈振宇という男に誘われて辞職し国金BYDに移るのだが、おそらくこの時の関係が縁で、二人がいた搜易广告と汪の雨鸿文化は国金BYDの元請け代理店に選ばれ、特に雨鸿文化はその後、本物のBYD本社の請負代理店にも選ばれている。
また、李娟はBYD本社に対して雨鸿文化の社員を名乗りつつ、同時にこの汪の名前を勝手に名乗り、汪のメールアドレスなどを勝手に使っていたという。
果たしてこれが李娟が勝手にやったことなのか、それとも汪も知っていたことなのかはわからない。また汪は李が雨鸿に在籍していた事実はないと主張している。奇妙なのは、李娟と汪晓婷、それに広告代理店の速肯の吴という人物が一緒に深センのBYD本社を訪れた際、先方がずっと(汪本人が横にいるにも関わらず)李に向かって「汪总」と呼びかけていたが、汪はそれに対して特に反応しなかったという。普通自分の横にいる人物に自分の名前で呼びかけていればおかしいと感じるはずであり、これを持ってこの二人がグルであるとする主張もある。
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すべての中心にいる李娟と、彼女をコントロールする黒幕?
李娟は現在、身柄を拘束されている。それは一説には身の危険を感じて別件を名目に自首したからとも言われるし、逆に警察にこの件で拘束されているとも言われる。彼女は6月のある時点でおそらく金に詰まった代理店に詰められ、上述の「汪の身分を詐称した」事実を認め、署名した紙を作らされている。
同時に彼女は、そもそも全て自分を国金BYDに紹介した陈振宇の指示の下に動いていたと証言する。李によれば陈振宇は自らをBYDの隠れた株主で、BYD創業者創業者王传福の妻李珂に直接報告する身分であると語ったという。これが事実であるとすればこの国金BYDという奇妙な会社はBYDトップの指示の下に(例えば蓄財のために)作られたということになろうが、陈は事件発覚前後を通して一度も姿を表したことがなく、当然関係者の誰も会ったことがない。第三者の証言としては唯一、雨鸿の汪晓婷が「李娟は常に『自分は陈振宇の指示で動いている』と言っていた」と証言するのみだ。
李を追求していた広告代理店側もこの陈振宇の実在を疑っていたが、その際李は陈と共に撮ったスナップを渡し「疑うならこの顔を調べろ」と言ったらしい。
なんにせよ李娟が拘束され、この陈も姿を現さない以上、これ以上BYD本社、もしくは上層部に話が広がることはないだろう。
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本来はどのような絵図だったのか?不思議な会社”国金BYD”の設立意図とは
一番大きな謎は、国金BYDという不思議な会社が何を目的に、誰の意思で作られたかだろう。行動がBYD本社を利するものであった上に李娟自身が特に利益を得ている様子もない以上、本社の都合・意向で設立された会社であること自体は間違いがないと思われる。
一説には上場会社であるBYDは財務情報公表の義務があるので、金額が膨らみやすい広告費を非連結の会社(=国金BYD)を通して発注することで支払い時期にバッファを作り、もし本体の業績が悪い時には次の会計期に計上するなどの操作ができる余地を作ることが目的だったとされる。実務上の妥当性はわからないが、ありそうな話ではある。
本社と国金BYDをつないでいた陈という人物が消えた以上真相はわかりようもないが、今の所は中国でありがちな「上層部の私腹を肥やすための利益創出」といったものには見えない。
ただ、別会社として作る以上、BYD側には国金BYDに財務的な支援を行う正当な根拠がない。そして事実この不思議な構図は(おそらくBYD本社から計画通りに金が入らず)国金BYDが下請けに代金を支払えなくなったところで破綻を迎えた。もし計画的な踏み倒しなのだとしたら、本社側はわざわざ幹部を送って写真を撮らせるようなヘマは犯すはずもない(そもそも話をつけることが非常に難しいような外国のサッカーチームを巻き込むことも普通は考えないだろう)ことを考えると、さすがに当初は何かしらの計算や手法が準備されていたが、どこかの時点でトラブルがありそれが崩れたことが原因のはずだ。
しかし中国には毎日大きなニュースがあり、どれだけ不思議な事件でも忘れ去られるのは早い。繰り返しになるが、今後よほどの新材料が出ない限りその真相が判明する可能性は少ないだろう。