BYDと国金BYDを巡る疑惑に関わる人物及び年表

関係者・会社が多く複雑なので、こちらのページにまとめる。

会社同士の関係図と、登場する会社や人物の紹介

既存報道や公開情報を元に筆者制作

BYD:深センBYDとも言われる、素性のはっきりした方、普通のBYD。暴露を受けて「何も知らなかったけど11億元分のサービスはもらいました」と声明を発表。ただ裏では事前に当事者と会談し、一部についての役務提供の確認は行っている(ただしその後担当者が変わり態度が硬化しているとのことだが)。
国金BYDの設立には上層部が関わっていそうな雰囲気もあるが、全社として悪巧みをしていたというより、おそらく大多数は発覚までこのスキームを認知していなかったものと思われる。

国金BYD:謎の核心。正式なBYD上海とは別の会社で、存在自体は本社に認知されている。李娟はこの国金BYDの社章などを偽造して「勝手に代理店に発注、サービスを受けて対価を踏み倒した」ということになっているが、ひとりでこのような大仕掛けができたはずもない。また李娟は少なくとも後から雇われてこの会社に入社しており、別に実質経営者がいるはず。
「上場会社であるBYDの財務状況をよく見せるために費用が大きくなりがちな広告予算を簿外においやるために作られた別働隊」と囁かれるが、資金を注入せずにどのようにその仕組を回すつもりだったのか今となってはまったく不明(そして事実成功していない)。

雨鸿文化:汪晓婷が実質オーナーといわれる広告会社。李娟と汪晓婷は搜易广告传媒有限公司にいた時の同僚で、おそらくその関係で搜易と雨鸿は国金BYDの元請けになっている。搜易も汪晓婷が実質オーナーと言われる(が、信用情報サービスなどで得られる株主や実質オーナー情報にはその名前は見られない)。
汪はメディアの取材には応じているもののアーセナルとの異常に安い契約金額については常にコメントを避ける。李娟が従業員であったことはなく、汪は逆に勝手にメールアドレスなどを使われていた被害者と主張。
しかし逆に汪と李娟が共謀関係にあり、国金BYDと汪の会社2社がほぼ一体だったという噂もまた根強い。

竞智:国金BYDと最も初期から取引をしていた広告代理店の1社。本騒動が広く知られるきっかけを作った微信公众号の文章”人BY脸,天下无D! ”を発表。
CEOの王大铭は疑惑の中心人物である李娟と以前五河文化という別の会社での同僚。話をややこしくしている金銭貸借などには関係しておらず、相手先をBYDと信じて広告やイベントなどを行った挙げ句支払いを拒否され怒っている。
李娟と元々知り合いだった関係か、雨鸿文化を通さず国金BYDから直接発注を受けていた模様(ただし、それがいい方向に働いているわけでもない)

速肯:李娟と汪晓婷を連れて深センBYDを訪問し、本社の購買部担当から上半期に実施済みの一部について支払いの応諾を得る。明確には語られていないが、雨鸿文化から受注した2次代理店という位置付けだと思われる。アーセナルとの3年120万の契約を見た!と言っている当人で、どう見ても安すぎるこの契約を疑問視していない事が謎といえば謎。

上海日高:元々の国金BYDの1次代理店3社の内の1社。当事者が姿を表さず謎が多い会社のひとつ。他2社は汪晓婷が実質のオーナーと言われている中で、なぜ日高だけが1次代理店になれたかも不明。
上二社と同じく国金BYDにサービスを提供したものの、その代金を受け取れず困っていた。結果として国金BYDは下記の上海衡昆铭を連れてきて資金を一時的に代理返済させようと試みる。国金BYDがなぜそこまで日高の面倒を見たかも謎。実質オーナーである韓は別会社で公共資産使い込みを行い勾留中。

上海衡昆铭:雨鸿文化の汪晓婷が実質のオーナーと噂される搜易广告を通じて、比較的早くから国金BYDに関する業務を受注していた。1次受け代理店になりたい気持ちを利用され、国金BYDの上海日高に対する未払い一時肩代わりを持ちかけられ応諾。しかし6回の内4回4930万まで払ったところで国金BYDから全く入金がないため、警察に通報。ここでおそらく初めて事件が公式のものに。
どうやら新しく株主が増え創業者以外の発言権が強くなり、その新しい株主が何が何でもBYDという素晴らしいブランドをクライアントとして欲しいというプレッシャーをかけ、このよくわからない一時的な肩代わりを引き受けさせられた模様。
創業者はこの資金を無限責任で借りていた為個人で背負う羽目になり、家は取り上げられ妻と離婚するハメになったという噂で、本事案で一番可哀想な一人かもしれない。

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年表

2016年

8月1日 竞智、国金BYDと200万元程度ではじめての撮影契約(以来、17のプロジェクトを履行)

12月 上海衡昆铭が①雨鸿文化、②搜易广告、③上海日高、3社の広告代理店を通じて二次受けとして国金BYDの業務開始。(なお雨鸿文化、搜易广告ともに汪晓婷がオーナーの可能性あり)

2017年

1-3月のどこか BYDの従業員が正規の手順に沿っていない、古いロゴなどが使われた広告を見かけ、調べた所雨鸿文化が代理店として出稿していたことが判明

4月 雨鸿の汪晓婷が国金BYDの李娟から業務受託開始(矛盾:16年12月に取引を始めたとする上海衡昆铭関係者と思われる証言と、4月からだという汪晓婷の証言が矛盾)

5月10日 雨鸿文化からBYDにロゴの間違いなどへの謝罪と、詫びとして無料のリソース提供などの申し出

5月 雨鸿文化、正式にBYD本社の協力会社リストに載る

6月 広告代理店A社国金BYDと取引開始

7月25日 雨鸿文化が上海日高の顧客がアーセナル協賛の資格を得るよう最大限努力する見返りに2600万得るという契約を締結

7月  広告代理店B社、国金BYDと取引開始

8月8日 雨鸿の汪晓婷は、李娟を通じて知己を得た北京のアーセナルの代理会社と面会

2018年

3月 国金BYDより上海衡昆铭?に、「当初元請けとして直接業務を発注していた3社が資金難に陥った。その他の会社の負債を建て替えるならば二次請けから直接の取引代理店にする」とオファー

3月21日 3本の入り組んだ金銭貸借の契約が結ばれる。内容は
①国金BYDの日高に対する8030万の内6830万未払を上海衡昆铭が6回払いで肩代わりする内容の国金BYD、上海日高、上海衡昆铭による三社契約。
②国金BYDが上海衡昆铭に年利24%という高利で利息を支払う
③さらに上海衡昆铭がほかの資金肩代わりを承諾する会社を国金BYDのために探し、無事に契約した暁には国金BYDは1257.3万上海衡昆铭に支払う。

4月 李娟の身元が怪しいとの噂が流れ、上海衡昆铭がBYDの董事長秘書に確認、董事長秘書は「李娟及び国金BYDの従業員の誰の名前も見たことがない」と証言

4月20日 汪晓婷が北京のアーセナル代理に支払い開始

5月某日 国金BYDが上海衡昆铭?に肩代わりさせた日高の実質オーナーは別のP2P事業で60億の損を出し勾留中と発覚

5月8日 アーセナルとBYDがスポンサーシップに付き調印式を開催

5月24日 上海日高がBYD本社に返済要求、本社が上海日高に契約書を要求し、その確認過程で国金BYDの暴走を認知?

5月25日 上海衡昆铭、日高にすでに支払った全6回の内4回分、4130(他の情報とあわせると4930の間違いか)万が返済されない可能性が高いと自認し、上海警察に通報

5月28日(5月31日説あり) 汪晓婷が李娟を連れて深センBYDを訪問するも、李は汪を車に残し、ひとりで中へ。

6月6日 速肯の吴彬が雨鸿の汪晓婷と李娟を連れて、BYD本社の購買担当朱敏(何宏雨、牟晓萌、孙斯闻という説もあり)と面会。上半期の一部項目について支払いを了承

6月8日 上海衡昆铭がBYD本社に連絡し、国金BYDが使っていた社章などが偽物であることを証明するよう要求。上海衡昆铭は李娟を信頼していなかったので、本来要求された6830万の内、4930万のみ支払い。

6月11日 李娟がBYD本社の朱にメールを送り、「自分はいかなる捜査も受けるが、知らずに働いた代理店への支払いはしてほしい」と陳情

6月13日 BYD声明1

6月下旬 李娟がおそらく?速肯の吴彬?などに詰められ、勝手に雨鸿の汪晓婷と名乗っていた事を認めさせられる声明を書かされる。同時にPCを持ち去られる(このPCからメールでの交信記録など様々なデータが後に流出)

6月27日(26日午後説あり) 李娟が上海警察に自首?(形式上「所有する不動産の由来が不明」で自首したことになっているが本来国家公務員にしか適用されない規定のはずで、この件に関して警察に非公式に尋問されているのでは、という説有)

7月4日BYD声明2

国金BYDの従業員、上海外服集団より通知。

7月9日 汪晓婷、法務担当者などを連れて再びBYD本部を訪れ、李と名乗る担当者と面会。「BYD訪問時、李娟は毎回汪晓婷を名乗っていた」と告げられる

7月11日 速肯の吴、上海の経済犯罪担当の警察に通報

7月12日昼間 BYD声明3

7月12日夜 竞智广告が微信文章「人BY脸,天下无D!」を発表し、大騒ぎに

7月13日夜 アーセナルがBYDが詐欺にあっていると発表

7月15日頃 6月末に書かれた李娟の声明暴露。内容は自分が汪晓婷の身分を詐称していた事を認めるもの。

7月16日 BYD声明4

竞智(CEOの王大铭),速肯,威瑞(監事であり実質オーナーの阮琰峰),雨鸿四者が記者会見を開催。