自社開発コンテンツに傾注する爱奇艺と上場

优酷は技術力によってトップに上り詰めた経験から、動画サービスを技術に関するビジネスだと常に思っていた。しかし爱奇艺の龚宇はこれはエンタメのビジネスであると早くから気付いていた。彼は関連する知識を補うために3年間の時間の間に400を小説や脚本を読んだと爱奇艺の元社員は言う。

优酷の元社員によれば2014年、爱奇艺は1000万元以上の値段を提示して优酷の当時トップIPだった高晓松と彼の番組《晓说》とチームを奪い去った。たった1年前、优酷と高晓松が出演費を交渉した時の提示は500万元でしかなかったのに。

大手は業界の最優秀な人材を大量に吸い上げた。CCTVだけでも马东、郑蔚、葛亚、王险峰、姜滨といった有名なプロデューサーや監督、現在爱奇艺のCCO(チーフ・コンテンツ・オフィサー)を務める王晓晖が参加した。後になって「CCTVで最も若い総監督」と言われた牟頔も加入、彼女は自分のチームを連れてきてまた全く新しい番組のコンセプトを打ち出した。このコンセプトは後になって「奇葩说」と命名された。

「爱奇艺が1億元にも達するようなコストをかけて作ったドラマの再生回数はいずれも惨憺たるものだった。しかし経営者等は問題は大して大きくないと考えていた」と当時爱奇艺で版権売買に関わっていた社員はいう。「彼らはコンテンツの品質が一定の水準に達してさえいれば満足だったのだ」

爱奇艺は三大プラットフォームの中で最も早い時期に自主制作のバラエティであるとかドラマを打ち出した。最初期の戦略は(海外)バラエティの版権を購入し中国のニーズに合った形で作り変えるということだった。ひとつの例がダーウィン工作室が手掛けた初めての番組「流行之王(King of Pop)」だ。すべての製作過程においてどのような広告も入らなかった。「番組は6人の芸能人を起用し、制作費は8000万にも達した」。

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長いこと、爱奇艺の自主製作チームは停止状態だった。「皆ずっと新しい企画開発、新しいモデル、ローカライズ…簡単に言えばずっとパワポをいじってばかりで肝心の番組は一向に売れなかった。」

龚宇はこの自主制作チームに対していかなる KPI も与えなかった。チームへの約束は1年目は開発期間だからコンテンツを作る必要はない。 最初の二つのプロジェクトは赤字であってもよい、3つ目のプロジェクトからは全てのコストと売り上げを一定の比率によって工作室にインセンティブとして分配するというものだった。「多くの決裁や予算はトップの承認を得る必要もなかった。工作室が自分で必要だと思えば、基本的に全て実行することができた」とある爱奇艺のシニアプロデューサーは言う。 「会社が先に支払いを肩代わりしなければいけないと言った場合はそれでも経営者の判断を仰ぐことが必要だったが、その時以外は彼は基本的に内容に口出しなかった。しかし、龚宇は番組チームの研究開発会に参加すること自体は好きで、毎回静かに座って聞いていた」。

爱奇艺と協業したことのあるある会社の創始者によれば、爱奇艺は全ての制作フローを制作会社に渡すのだという。その中にはマーケティングコスト、出演者の報酬、ポストプロダクションのコストなども含まれ、例えば1.5億元くらいの予算であればまとめて制作会社に渡していた。「このカネは好きに使ってもらって結構」というのが彼らが受け取った指令だった

2018年优酷はその最大の愛をサッカーW杯のインターネット上の放送権獲得に注いでいた。アリババは史上前例のない三日間で 16億件もの予算を使って、 10億 を提示したテンセントを出し抜いて素早くCCTVと独占的な契約を結んだ。

W杯の狂乱と熱狂の1ヶ月が過ぎたあと、W杯が优酷にもたらした3000万人以上の新規ユーザーは大会がおわるとすぐに消えていった。「事実が証明してるのは、金銭はこの戦争においてほぼ唯一の砦だということだ。爱奇艺、优酷、テンセントビデオは親会社であるBATの悪性な消耗戦のもとですでに道化と化していた。ユーザーのロイヤリティはかつてないほど低く、プラットフォームたちは絶えることなく金を使って最高級のコンテンツを提供することでしかユーザーを維持できなくなった。大手たちもすでに自分たちがこの戦争をすぐに終えることができるだろうという希望を失っていた。

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2018年3月29日、爱奇艺はアメリカの資本市場に登場した。大株主である百度の本部ビルはその明かりを使って「AI ♡ QIYI」という文字を浮かび上がらせた。百度の創始者李彦宏(ロビン・リー)は緑のネクタイをしてナスダック市場に現れたが、これは爱奇艺のロゴカラーだった。そしてアメリカ株の中で「伸びる」という意味の色でもあった。

その8年前百度が爱奇艺を作った時は、爱奇艺を一つの独立した会社にしたかった。自分で オフィスを借り、自分で業務のためのチームを雇い、独自のドメインを持ち、最初期に百度から爱奇艺に送られた従業員の数も多くはなかった。百度の副総裁である任旭阳が爱奇艺の創始者を選んだとき、その基準は「創業者タイプ」であることだった。

これは100%百度が手を離すということを意味するわけではない。「百度のやり方はすべての子会社や孫会社において40%以上の株を持ち、その会社の経営者たちには10%から20%しか持たせないということだった」と関係者は語る。

李彦宏は多くの状況の中で龚宇と考えを一致させていた、しかし龚宇の保有株はたった5.4%だった。