インターネットビジネスにありがちなことだが、動画もまた将来の成長期待によって金を集めるが、業界1位でさえもいつまで経っても黒字にならないビジネスのひとつだ。十分な需要がある分野で自分以外のすべての競合を打倒した日には(いまのアマゾンのように)独占的にかつ傲慢にふるまうことができるようになるだろうが、それがいつになるのかは誰もわからない。

今回紹介する記事は中国の3大動画プラットフォーム(「アリババ系の优酷(Youku)」、「百度系の爱奇艺(IQIYI)」、「テンセント系のテンセントビデオ」)とその背後に控えるBATの長年の歴史を追ったものだ。場面場面での関係者の意志や行動が詳細に書かれており、面白さもある。

ただし本記事は内容の多さだけでなく中国語特有のダラダラした文体(その上けっこう悪文)で長ったらしく読みにくいことこの上ないのも確かだ(ブーメラン)。一部の表記を簡略化するとともに、とりあげる会社が変わった所でできるだけ文章を区切り、章の見出しは翻訳ではなく新しく付け直している。

動画サイト戦争:10年1000億元、焼け出された3社

出典:长视频战争:十年 1000 亿人民币,烧出了三家电视台(晚点LatePost 12/3)

2019年末、テンセントビデオは ビジネスモデルの「Netflix + YouTube」へのトランスフォーメーションという大計画を温め始めた。この計画に基づけば、2年後にテンセントビデオは映画、バラエティそして個人ユーザーが作り出したコンテンツを一体化した総合的なビデオプラットフォームとして、DAU(デイリーアクティブユーザー)が1億に至らない現状から一気に4億にまで駆け上がることになる。同時に2022年には700億元の収入規模を実現し、その時には利益は60から70億元に達するとした。

この壮大な計画は2020年4月にテンセント COO 任宇昕の手に渡り、しかし意外なことに却下された。その大まかな理由はこれは表面のガワを1枚取り替えただけにすぎないということだった。

任宇昕は 社内のミーティングにおいて何度か動画サイト業務に対して意見を表明してきた。 「彼は常にチームに対して、未来にこのサービスがどうあるべきか、どのように変わることができるかを考えるようにといつも指示していた」と関係者は言う。公開されて9年が経ったテンセントビデオは未だに親会社テンセントに巨額の赤字を負担させている。

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同じ時期、テンセントビデオのオフィスから17 km 離れたアリババの阿里中心では、优酷(Youku)もまたショート動画とコミュニティ運営型へのトランスフォーメーションのための改革を進めていた。アリババグループのトップに近い関係者は、グループの大文娱(訳注:阿里大文娱、优酷も含むエンタメを所管する事業群のひとつ)に関する構想は毎年1000億元規模の売上を上げることと説明した。しかし2019年アリババのデジタルメディアおよびエンターテイメント業務の年間収入は240.77億元、157.96億元の損失だった。

「眼に見える焦り」だったとアリババのある社員は述べた。「老樊(訳注:阿里大文娱总裁の樊路远)は皆に毎月 YouTube 上のビデオを百本アップするようにと命じた。みんな頭は真っ白だった」。

この「三国殺」の中で、爱奇艺は最も苦境に立たされていた。2020年6月、 アリババとテンセントが前後して親会社である百度に対して爱奇艺を買いたいと申し出たと報道されたその時には、爱奇艺の株価は40%も上がった。

中国インターネットの歴史上、この動画サイトを巡る戦いのような争いは前代未聞だといえる。 10年もの長い時間にわたり数え切れない額の資金が投下され、その割に得られたものはほとんどない。いつになったら黒字化できるのかすら見通しが全く立たず、無限に投入される資金をもってしても根本的にいつになったらイノベーションを得るかもよくわからない。

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今彼らはさらに凶猛な新勢力と戦わなければならなくなっている。例えば、抖音快手などのショート動画は、 すでに動画やIM(微信やQQなどのコミュニケーションアプリ)などを超えて中国人の使用時間最長のアプリとなっている。

我々は業界関係者数十名、投資家、起業家、ユーザーにインタビューを行ったが、殆どの人はこの戦争の意義を見出すことができなかった。 唯一得ることができた結論は、事業者たちがすでに1000億元ほど無駄遣いをしているということだ。「誰もこの戦争の終わりを予想することができないし、終点に至ったところで何かを変えることもできないだろう」と易凯资本の创始人兼 CEO 王冉は言う。 易凯资本は优酷と土豆が合併した時、土豆側の財務顧問だった。

この戦争を振り返ると、一つの教訓が浮かび上がる。金だけが障壁になる競争においては、永遠にワンサイドゲームということはありえない。もし10年誰も来なかったとしても11年目には必ず誰かが現れるだろう、ということだ。