Twitter(X)で何回か触れ、また一度Newsweek日本版様に書かせていただいた(「次世代のスー・チー」が語る本家スー・チーの価値と少数民族乱立国家ミャンマーの未来)ように、私は中国の国際社会およびアジア地域における存在感の拡大にとって、ミャンマーとの関わり方が非常に重要な試金石となると考えている。予測としてはあたらなかったが、去年は考察も書いた(ただし大きな流れの考え方としては変わっていない)。結局1年ほど経ってもまだ詐欺拠点としてのミャンマーという事態は改善どころか悪くなっていくばかりなのに注目は一過性のもので…と思ったら、よくわからない俳優が騙されて連れて行かれ、働かされていたという事件によって中国ではまた一気に注目をあび、25年1月には王毅がまた「ダメゼッタイ」などという声明を再び出すに至った。この記事は、タイ・ミャンマー国境地域で長期にわたるフィールドワークを行っていた筆者によって書かれたもので、ミャンマーやタイの専門家では持ち得ない当事者である中国人へのアクセス性などからとてもよい取材になっている(そもそもちょっと取材に訪れるジャーナリストはいても、長期滞在している人は少ない)。別に国家としてのミャンマーの行く末にはまったく関係しないだろうが、いかに彼の地と華人の縁が深いかという理解の一助にはなろう。

タイ・ミャンマー国境で200日に渡り特殊詐欺を追った

我在泰缅边境调查电诈产业 200 天(2025.1.16 正面连接, 伍勤)

タイ・ミャンマー国境はいまや “法の外”の地となっている。軍閥の割拠が統治の真空地帯を産み、タイは往来の要所になって、そして当地の華人たちが道を付ける…タイ華僑は入国管理局、警察、国境警備隊に、ビルマ華僑は少数民族武装勢力にそれぞれ通じて、パーク用の土地を確保した。 こうしたものが一体化し、支配から逃れるためのインフラを形成して、特殊詐欺産業の繁栄を可能にしている。そしてグローバル資本主義の”残党”がここに引き寄せられ、あるいは拉致されて集まる。

ある俳優がタイ・ビルマ国境のミャワディ詐欺パークに誘い込まれたことをきっかけに、映画『孤注一掷』で注目を集めたメーソット=ミャワディ地域が再び脚光を浴び、これを機に声を上げる被害者家族が増え、東南アジアの「失踪」事件がSNS上で大量に明るみに出た。その結果、この地域に対する悪評が再び中国世論の中で高まっている。

このニュースはミャンマーとタイのメディアで喧伝され続け、最近両国での最もホットな話題のひとつとなっている。しかし、中国世論で巻き起こった「東南アジア恐怖症」とは異なり、こちらの一般市民の感情はむしろ中国マフィアがタイ・ミャンマー国境にやってきて詐欺に手を染め中国人などを拉致している、そのせいで両国のイメージは国際世論において特殊詐欺と結びつけられ、貶められているというものだ。

2023年末から現在に至るまで、私は頻繁にメーソットを訪れ、タイ・ミャンマー国境の特殊詐欺産業について調査してきた。メーソットはタイ最西端の国境に位置し、ミャンマーのミャワディから海を隔てた対岸にある通信詐欺パークへの玄関口でもある。

私はこの2年、いくつかの重要な節目を目にしてきた。2023年末の特殊詐欺業界に対する中国政府とタイ政府の合同取り締まりの時期には、ミャワディに閉じ込められていた多くの人々が救出された。その影響でこの国境では資本と人の流れが一時停止していたが、2024年以降再び活気を取り戻しており、事態は大きく改善していない。カンボジアやラオスのパークからこの国境に移転する新規参入者や、ミャンマー北部やドバイのパークに移転する企業が後を絶たない。同時に、世界中の人々が騙されてタイにやってきて、やがてメーソットに「消えていく」ことも続いている。

私は1年以上にわたるメーソットでのフィールドワークで、対岸のパークの周囲に形成されている恐喝の実行者、人身売買の被害者、資材の供給者、運転手、ホスト、エージェント、密航業者、渡し守などに対するインタビューを何度も行い、またこの国境線における物理的空間と サイバー空間の両方で長期にわたるフィールドワークの一環として、パークの従業員、人身売買の被害者、及び川沿いのパークに関係する納入業者、運転手、接待者、代理業者、密航密輸業者などに対しインタビューを行った。また国境線沿いのこの地域の物理・サイバー空間両面での長期の観察を行い「なぜここなのか」、何がこの統治を逃れた機構を築かせ、密輸を、あるいは人身売買を通して現代の奴隷制を可能にせしめたのかを理解しようと努めてきた。

01 ウェイバイを探して

タイとミャンマーは、タイ人がモエイ川(Moeiriver)、ビルマ人がタウンイン川(ThaungYin)と呼ぶ川によって隔てられている。

乾季には国境となるこの川は大きな溝のように浅く狭いため、密輸、密入国、シェルターとして欠かせないルートとなっている。増水の時期には、川の近くに住む村人たちは時折浮かんでいる死体を見かける。特殊詐欺パークで現代の奴隷として暮らす人々は、常に利用され、捨てられる存在だ。遺体は乾季には埋められ、雨季には急いで川に捨てられ、増水期にはすぐに流される。

タイ側に流れ着くと、国境警備隊は遺体をミャンマー側に押し戻すように言い、行方不明者の身元や国籍の確認を嫌がる。ミャンマー側のカレン州は武装した少数民族の内紛により、さまざまな勢力に分裂して混乱しており、この国境が特殊詐欺業界によって荒らされてから数年の間に、彼らはそれぞれのパークの保護者になり、法の外の存在となることを許している。こうして死体は両岸をたらい回しにされ、国境の境界線を刻むこの川の水の中で腐敗し、有機物と化す。

ここが国境だ。メーソットはタイのこちら側にあり、パークは国境のビルマ側の川沿いに密集して広がっており、ミャワディ地区に集中している。

国境の川沿いに密集する特殊詐欺パーク(2023年、マフィアグループからの流出情報に基づく)

2024年5月上旬のある日の午後、私はメーソットの中心部から、イ族の青年レグ・ウェイバイがパークから送ってくれた地図の場所を頼りに出発し、モアイ川沿いの貨物ターミナルを見つけた。川を挟んだ向かい側には、ミャワディのパークサイド・パークがあった。埠頭は人々で賑わい、コンテナが積み込まれ、束になって川を渡って運ばれていた。対岸の仏塔からは読経の音が聞こえ、貨物を運ぶモーター音が絶え間なく響いていた。人目を引くのが怖かったので、私はただ遠くから川の向こう側を眺め、ウェイバイから送られてきた写真と一致する建物を見つけようとした。

モアイリバー・ピア1のロケーションから対岸のパークサイド・キャンパスを撮影。

ウェイバイとシャオルーは大凉山(訳注:四川省山奥の貧困地域として非常に有名)出身で、もともと南京で働いていた。2024年、4月上旬の南京は雨が降り続いて工事現場は通常通り開けられず、収入も途絶えてしまった。現場を回っていたとき、彼らは漢民族の”エージェント”に出会い、ミャンマーには高給の仕事があると教えられた。彼らの出身地である美姑県では、多くの若者がミャンマーで「仕事」をしており、出てきた者が「斡旋業者」となって新たな人々を勧誘していた。ミャンマーで働くことを知らないわけではなかったウェイバイとシャオルーは、数日間ためらったが、昆明に行って漢民族のエージェントに会うことに決め、雲南省シーサンバンナに連れて行かれ、そこで車に乗った。

4月12日、西昌市に住むリブは弟のウェイバイからビデオ電話を受け、彼がすでにミャワディにいることを知った。スマホの画面の向こうでは、ウェイバイとシャオルーが部屋に閉じ込められていた。詐欺だと気づいた二人は仕事を拒否し、会社は身代金目当てに家に電話するよう求めた。パークによっては、”騙されて応募し”連れてこられて仕事に抵抗した人々が、身代金について家族と連絡を取るための時間が残されている。これらはこれを「赔付(訳注:賠償金支払いの意味)」と呼んでいる。

赔付はタイ・ビルマ国境のパークでよく見られるルールだ。契約期間を満了せずに退職する場合、従業員がパークに到着するまでに会社が負担した旅費、密航業者の費用、軍隊に支払った費用の補償が必要となる。同時に、このような閉鎖的な飛び地での離職は、自分一人で歩いて出て行けるものではなく、帰路も同様に会社は彼らをエスコートする業者を手配する必要がある。ただし、具体的な賠償額やルールは会社によって異なる。例えば、半年間契約する会社もあれば、1年間契約する会社もある。10万元(約200万円)支払う必要がある会社もあれば、3,40万という高額な会社もある。これは中間でエージェントによって搾取されるし、支払ったからと言って釈放される保証はない。

ウェイバイとシャオルーの会社は最初30万元以上を要求し、次に10万元に下げ、最後に8万元と言った。しかし、田舎のイ族の家族にとっては、想像を絶する高値だった。しかも、リブは金を払えば弟が釈放されるとは思っていなかった。自暴自棄になったウェイバイとシャオルーは、監禁されていたビルから飛び降りて逃げようとしたが、また捕まった。

リブは2人が住民登録されている柳紅鎮と県庁所在地の美姑県の公安局に通報したが、立件されなかった。それは「孤注一掷」の人気が世間を騒がせ、中国警察が大々的にミャワディに乗り込んで特別救出作戦を開始してから3カ月が経った頃だった。私がメーソットで調査をしていることを聞いたリブは、私に連絡を取り、どうしたらいいか私に助けを求めた。

シャオルーはWeChatのボイスメッセージを私に送ってきた。「会社は私たちに詐欺的な仕事を強要している。やらなければ死ぬほど殴られるが、やれば国に帰ったときに刑務所に行くことになる」と。自分の身を守ることが重要であることから、私は彼らにこれを普通の仕事のようにまずはやることを助言しなければならなかった。ウェイバイは希望を失った様子で、私に「家にはお金がない、私はここに残る、両親や家族を責めない、自分で何とかする…」と言った。

チェンマイの領事館に電話したが、名前を登録しただけで、今のところ何のフォローもない。2人のイ族の少年はパスポートを持っておらず、タイへの入国記録もない。私自身、警察へ通報しようもなかった。

中国西部地域から”騙されて連れてこられた”被害者のほとんどはパスポートを持ったことがない。彼らは通常、雲南省や広西チワン族自治区との国境に到着し、そこで車に乗せられ、山岳地帯の複数の国境を越えて密入国する。ミャンマーの国境地帯は、中国とタイに接する地域ともに武装した少数民族軍が支配しており、通行は困難である。そのため、中国・ミャンマー国境のミャンマー北部からタイ・ミャンマー国境のミャンマー東部へ陸路で移動するにも、タイでのトランジットが必要となる。

東南アジア国境地帯における特殊詐欺産業の分布

彼らを乗せた車は、雲南からラオスを経由することもあれば、そのままミャンマー北部に入ることもある。広西チワン族自治区からはベトナムを通り、ラオスへと進路を変える。どちらのルートもミャンマー、タイ、ラオスの国境であるゴールデントライアングルまで行き、そこからタイのチェンライ県メーサイ郡に入る。タイに入ると、車はようやく幹線道路に出るようになり、メーソットまで南下する。

例えば騙されたと報道された男優の王星のようにパスポートを持っている被害者は、まずバンコクに飛ぶことになる。飛行機がバンコクに着くと、彼は車に乗り込んだ。6、7時間後、車は密航業者たちが集まるメーソットのスーパー、Makroの駐車場に停められた。しばらくすると次に乗る車が走ってきて、わずか30分ほどでモアイ川の密輸ポイントに到着する。そして結局、彼らはみなメーソットで”失踪”することになる。

02 警察署内の中国人

2023年末から2024年初頭にかけて、中国世論で反詐欺熱の第一波が大盛りあがりしたあと、中国警察がメーソットに到着したというニュースがタイのソーシャルメディア上でも賑わった。中国の特別機がメーソットから被害者を母国に連れ帰るために相次いで出動した。この時期、メーソット警察署の独房への中国人の流入もピークに達し、毎日平均6、7人が新たに収容された。

中タイ政府による共同取締だけでなく、世界中の目がこの地域に注がれていた。この間、メーソットには駐タイ米国大使や欧米の主要メディアの記者が訪れてきた。パークからの脱出は突然簡単になったように思えた。被害者と連絡が取れる家族は、本籍地の警察署で警察に登録し、中国とタイの警察は協力して被害者のいるパークを突き止め、武装勢力を通じてパーク側にリストを渡し、パーク側は人々のために企業を探し出す。 救助手続きを経ずに自力で脱出したり、「補償金」を支払ったりしても、通常より問題は少ない。報酬を支払った者には会社がメーソット警察署までの帰り道を手配し、通訳までつけてくれる。自力で脱出する者は、お金も身分証明書も持たず、一人で川を泳いで渡らなければならない。

私は独房で、新疆ウイグル自治区南部の農村出身で、流行前はそれぞれ広西チワン族自治区と河北チワン族自治区でバーベキューのコックをしていた若いウイグル人、バイヘリヤルとグブライアイに会った。封鎖解除後、バーベキューを作るグループで仕事を探していた彼らは、雲南省の人里離れた山間部までバーベキューを作りに連れていってくれるという電話を受け、現地に着くと車に詰め込まれた。中国語の能力が低かったため、彼らのパフォーマンスは水準に達することはなく、会社からカンボジアのパークに転売される過程で、メーソットを移動中に脱走し、警察署に出頭した。

ヤン・カンと同じく雲南省から来た他の3人の少年(うち2人は未成年だった)は同じ房に入れられていた。ヤン・カンは58.comの求人広告を見て、他の3人は彼を尾行し、騙されて広西チワン族自治区に行き、車に乗っていろいろなところに寄りながらメーソットに着くまで7日間かかった。幸い彼らがメーソットに一泊した日、隙を見てメーソット警察署に逃げ込めたことだ。

「自首」した者は通常、メーソット警察署の独房で1~3日過ごし、その後、判事裁判所に連行されて罰金を支払い、メーソットの移民刑務所、そして最後にバンコクの移民刑務所に送られる。全過程には通常3カ月ほどかかり、その後母国に送還される。手続きの長さはパスポートを持っているかどうか、「不法移民」とみなされるか「オーバーステイ」とみなされるかによって異なる。「人身売買の被害者」としての手続きを希望する場合、バンコクの移民刑務所で1年半を過ごすことになる。したがって、このルートを選ぶ人はほとんどいない。

警察の留置場にいる中国人は主に農村部の出身で、少数民族の割合が非常に高い。彼らのほとんどは成人になったばかりで教育水準も低いため、正規の経済社会に入るのは難しい。中国に住んでいる間、彼らはしばしば非正規労働のプラットフォームで仕事を探し、それは当然、詐欺パークの企業の「エージェント」が人を募集する場所となった。非正規労働プラットフォーム以外では、同郷あるいは同僚といったネットワークを通して人集めが行われ、騙されて連れて行かれた人が、出てきたときには企業側の「エージェント」として募集にせいを出す場合すらある。

タイピングをしたことがない者もいれば、中国語さえろくに話せない少数民族もいる。会社に利益をもたらすことができないため、彼らは資産として扱われ、身分証や銀行カードは徴発され、別の会社に転売され続ける。

しかし、「自首」は選択肢のひとつにすぎない。脱走者の多くは、「自首」する前にメーソットの仲介業者に相談する。タイ華僑のシャオ・ウーは、メーソットでこの仕事を請け負っている。「保関(事前に入国管理局と交渉し、通過できるように保証する)」が最も早く、合法的な書類がなくても飛行機で帰国できるが、入国管理局は賄賂を贈るのが難しくなっており、このルートを通るのは難しくなっている。2つ目は、車でバンコクまで運び、バンコクで次のエージェントに引き継いで陸路での密入国を手配する方法で、2日で帰国でき、費用は16万バーツ(約34,000人民元=72万円)。第3の選択肢は、安全策を講じた上で「自首」することである。仲介業者を通して警察と入国管理局に通じ、所要期間わずか7日間で60,000バーツ(約12,700元=27万円)で帰国できる。お金も手段もなければ、自首したうえですべての手続きを真っ当に行う必要がある。

03 特殊詐欺業界に道を開いた地元華人

メーソットの街では、しばしば「特殊詐欺産業」が亡霊のようにうろつきまわる。バンコクからメーソット行きの飛行機に乗ると、数人の白人宣教師を除けば、機内はミャワディに向かうためにメーソットを通過する中国人であふれている。この飛行機はメーソットに住む人々から「特殊詐欺専用機」というあだ名で呼ばれている。

メーソット空港に着くと、「YATAI INTERNATIONAL」という名前のお茶屋さんがある。いつも中に座っている中国語を話すタイ人の彼女は国境地帯最大のパーク、亜太城(=アジア・パシフィック・シティ)のために働いている、と語った。この茶店は、バンコクからメーソットへ飛行機でやってくる詐欺業者のボスを迎えるために使われている。飛行機が到着すると、彼女は店内でお茶を淹れて社長たちを休ませ、空港の外で待っていた運転手を呼んで社長たちを引き渡す。彼女はタイ系中国人であり、新型コロナ流行以前はバンコクの中国人を相手に観光業で生計を立てていたが、流行によって彼女の会社は倒産し、彼女は他の「タイ系華人」に続いてこの業界に入った。

流行期、タイの観光産業は中国の国境閉鎖で大打撃を受け、代替の生計を立てなければならない雇用者が大量にだぶついた。そのうちタイ系華人や中国語を話すタイ人が水を得たように「グレー産業」に流れ込むようになった。頭もきれ、リソースも豊富な地元の中国人も、特殊産業の分け前を得ることができた。メーソットの片側では、タイ系華人が入国管理局や警察、国境警備隊に接近して密輸のためのインフラを構築し、もう片側では、ビルマ系華人が少数民族武装組織に接近して土地を確保し、それらが一体となって中国から「特殊詐欺」産業の大物がやってくる道をつけている。

“ミャンマー華人”は、すでにミャンマー北部のパークで目立つ位置にある。国境線上をまたがりミャンマー北部から東部のパーク間を移動する中に、あるいは大量に参入してくる特殊詐欺の核心的な管理層の中にも彼らの姿が常にある。産業にまつわる「美味しい部分」、たとえばパークのための建築資材供給、自分たちの富と権力を誇示するための中古高級車の供給、タイの金融管理の抜け穴を利用したボスたちのためのロンダリング、といったものは迅速に彼らミャンマー華人によって腑分けされ、持ち去られる。もしありつけなかったとしても、メーソットで「中継地点」としてのビジネスはできる。

川向こうのキャンパスの宿舎棟(ミャンマー)

メーソット中心部の賑やかな通りに、中国語だけの看板を掲げた2つの店が向かい合っている。ひとつは中華料理店で、様式化された装飾はなく、白熱灯が隅々まで灯り、壁には「豚、鶏、アヒルの配達」と書かれたチラシが貼ってある。オーナーはミャンマー華人で、数年前にコーカン自治区のラオカイからメーソットに引っ越してきた。

通りの向かいにある店先の写真にはびっしりと漢字が書かれており、パークと取引していることがぼんやりとほのめかされていた。シャオ・ウーと出会ったのはこの店だった。ウーはタイ系華人で、若い頃はバンコクでコールドチェーンで商売をしていたが、大量の中国人が国境を越えて移動してきたのを機に、バンコクからメーソットに移り住んだ。伝染病が流行する前は、ここであらゆる商売ができたが、流行後は手を縛られた。彼はパークでのタバコの販売をポン引きして独占し、パークのオーナーのためにコンピューターや携帯電話を供給している。また、ボスが詐欺で得た金を”洗浄”するためにタイに会社を登録した。

彼の父親は移民第一世代でやり口はもっと大胆、ここ2年パークのボスたちのために小国の偽造パスポート制作を請け負っていた。大金を稼いだボスたちは母国に帰ると刑務所行きになるので、パスポートを変えるしかない。彼ら家族はモーリシャスとスリナムのパスポートを専門にしている。

同じ通り上を歩きこの2つの店を過ぎて路地に入ると、目の前にヤクザ風の中国人がよく出入りする不思議な建物が見えてくる。ここは中国人特殊詐欺グループの”宿舎”で、オーナーも地元の中国人だという。他の中国人によると、彼は「中継地点」としてのビジネスのおかげで、ここ数年でメーソットに4エーカーの家を買ったという。

メーソットのビジネスマンたちは、”この国境で、タイ人、ビルマ人、中国人のグループと繋がれればできないビジネスはない”と言う。黄老板はその最大の受益者である。黄老板の父親は中国から移民してきた第一世代だが、タイ人としての身分を得て、メーソットのモアイ川沿いに土地を買った。彼の妻はビルマ人で、結婚によって得た権利を使って、ボス・ウォンは川を挟んでミャワディ側の土地も購入した。この2つの土地は現在重要な埠頭につながっており、黄老板は両側に倉庫を建てて、ここ数年大きな建設ブームが起きているミャワディ・パークに建設資材を送っている。

ウーの考えでは、コロナ流行後に最も儲かる商売は「ルートをやる(密航)」をすることだった。残念ながら彼のネットワークはメーソットの地元華人ほど広くはなく、彼がこの市場に参入しようとしたときには、すでにケーキはかなり切り刻まれていた。彼はいま新たな市場、つまり「人命救助」のビジネスに進出している。

04 中国人がやってきた。

「ここから川を渡ると、左に行けばミャンマー、右に行けば中国だ。川を渡ると警備員がいて、右側のパークに入るにはお金を払わなければならない。」とスーチンは言った。亜太城に通じるモアイ川の最初の桟橋で、そこのオーナー一家の末娘であるスーチンに会った。

亜太城はミャワディ地方北部のシュエ・コッコ渓谷に位置する、タイとミャンマーの国境に建設された最初のパークである。現在では繁栄した都市の形をとる。メーソットから国境沿いを北上し、亜太城の対岸まで車で30分。照明が点灯すると、ネオンライトが高層ビルを飾り、巨大なLEDスクリーンにはタイの貧しい町メーソートに抗議するかのようにタイの方向に向けた広告が映し出される。グーグルマップを見ると、無数のレストラン、ホテル、ナイトクラブ、さらにはウォーターパークやゴーカート場まである。

タイ側から見た”亜太城”

スーチンの回想によれば、分水嶺は2018年だった。それまでは、桟橋を挟んだ向こう側の村にこの桟橋を通じて輸送される物資はすべて、道路を挟んだ向こう側の村人のための食糧や生活必需品だった。2018年から、彼女は道路を挟んだ向こう側に高層ビルがそびえ立つのを見ることができるようになった。

実際、この開発プロジェクトは2017年から進められており、2017年末にはオンラインギャンブルや特殊詐欺の企業が徐々に「亜太城」に進出してきた。工事はシュエコッコから国境沿いに南下して広がり、やがて国境全体が大工事状態になった。

2018年に入ってから、中国人がメーソットに現れ、地元の消費を押し上げるようになった。タイ人は中国人がミャンマーに来て開発を進めていると考え、中国の開発業者が川向こうに「ラスベガス」を建設すると想像していた。メーソットに長く住んでいる人たちは、コロナ流行前の時代を思い出すことができる。当時はどこの桟橋でも1人20バーツ(約90円)で川を渡ることができた。

 

 

2019年の初め、スーチンは「亜太観光ツアー」、つまりタイ人たちを亜太城のカジノで遊ばせるツアーを行うようになった。同じ年、彼女の家族が所有する桟橋を利用してパークへの投資誘致につなげたいと考えた亜太城の大ボスが祖父を訪ねてきた。カジノではなく、特殊詐欺がミャワディの産業の主力であることにメーソットが気づき始めたのはそれから2、3年後、過去にタイ人が連れ去られたというニュースがメディアに登場してからだった。

同じ年の暮れ、中国政府とカンボジア政府が共同でカンボジアの詐欺産業を取り締まったため、カンボジアにあったパークの多くの企業がミャンマー北部と東部に移転した。シャオウーもまたその熱を嗅ぎつけてバンコクからメーソットへ移り、カンボジアから大量の中国人が米ドルを両替するために彼の店に押し寄せたのもその頃だった。ウーの記憶では、中国人はコロナ前は生活の便利なメーソットに住み、毎日川を渡って出稼ぎに来ていた。彼の記憶では、”幽閉”や人身売買の話はほとんどなく、パークで働くためにやってきた人々のほとんどは自発的にやってきていたし、たとえだまされてここに来たとしても、出て行くのは今よりずっと簡単だった。

シャオウーはコロナ前から、中国人観光客を大勢引き連れて川を渡り、日帰りでメーソットと往復してギャンブルを楽しませていた。また、一時はメーソットでポン引き業も営んでおり、パークの人々が遊びに来ていた。しかしコロナが流行すると、桟橋は閉鎖され、川向こうのカジノも営業できず、経営不振に陥った。メーソットでのポン引きビジネスはさらに成り立たなくなったので、彼は引きこもってしまったパークを避けて新しいビジネスを考えなければならなくなった。

コロナの流行はタイ・ミャンマー国境沿いの特殊詐欺産業の生態系を急速に悪化させた。国境沿いの大小のパークへのアクセスは困難になった。パークの閉鎖的な管理によって、詐欺業者は内部でやりたい放題となり、人身売買、監禁、リンチ、麻薬、銃、未成年の性売買、野生動物の売買などが横行するようになった。

05 軍閥が割拠する国境で、統治から逃れる

亜太城のあるシュエコッコ地区は、カレン族の国境警備隊(BGF)の管理下にある。開発業者である亜太グループは、BGFから土地を借りてパークを建設し、それを不動産として宣伝している。亜太城に立地する企業は、パークに対して毎月の家賃を支払う必要があり、この使用料は亜太とBGFが折半する。

亜太城は、地元ではあまりに急速な発展と派手すぎることで悪名高く、それを管理するBGFは、マスコミ報道では詐欺業界全体の後ろ盾のようにみなされてきた。しかし実際には数あるパークの中でも亜太城は自主性があるほうで、働く人々は比較的「自由」な都市生活を送ることができる。それはまさに、このエリアがずっとBGFによって管理され、単一の比較的安定した権威を持っているからである。

1948年の独立以来、ミャンマーは内戦状態にあり、連邦制国家建設のプロジェクトを完成させることができていない。本土の中心部は中央政府の行政管轄下にあり、山岳地帯の少数民族地域は「軍閥」の支配下にあり、武装勢力によって統治されている。

メーソットの対岸にあるカレン州は、そんな辺境地域のひとつだ。KNU(カレン民族同盟)、DKBA(民主カレン仏教徒軍)、BGF(カレン国境警備隊)など、いくつかのカレン族勢力は政治的スタンスによって分裂しているが、国境沿いにあるちょっとした土地であるパークを奪い合うという目標においては共通していた。

ミャワディのパークはさまざまな武装勢力によって支配されており、しばしば流動的な状態にある。この地が中国の「下水道」産業にとって、東南アジアでほぼ完璧な「超法規地帯」となっているのは、こうした統治の空白のためである。

モアイ川沿いの某パーク

亜太城のあるシュエコッコの南、モアイ川沿いの国境地帯は、異なる民族武装勢力の間で頻繁に支配地域が入れ替わり、混沌とした戦闘の真っ只中にある。安定性の欠如は、パークの開発者たちにとって「建設」を困難にしている。その結果、国境沿いのさまざまな地点にあるミャワディの大小のパークは秘密主義を強め、行き来には必ず武装勢力の護衛を必要とするようになった。規則や規制が整備されているパークもあれば、完全に非合法なパークもあり、そこにある企業のほとんどはヤクザとして活動し、やりたい放題である。

特殊詐欺の実践者たちのテレグラムグループは、しばしば「ブラック・パーク」や「ブラック企業」を暴露し、「地雷を避ける」よう注意を促している。例えばパークソンパークは「詐欺の手口」で知られ、タイチャンパークは「拷問の手口」で悪名高い。亜太城のいわゆる「規範」と「自由」は、1日12時間労働で月に1日しか休みがないことだ。従業員がお金を使うレストランや娯楽施設も多い。

2023年末、スーキンの家族は突然インターネットの電波を受信できなくなった。彼女の家はモアイ川の隣にある。その時は取締の最盛期で、タイから送り込まれる電力やネットワークがそのターゲットだった。しかし、川向こうのパークが見える国境沿いのどの地点でも、発電機が働くゴトゴトという音が聞こえてきた。イーロン・マスクのスターリンクは、現地では以前から人気があった。スターリンクを扱う業者は、パーク関係者が集うテレグラムグループ上の広告ですべてのパークに設置可能だと謳う。

亜太城であろうと「ブラックパーク」であろうと、またその背後にある武装勢力だろうと関係なく、この国境にある産業全体が、取引保全のために暗号通貨に依存し、暗号化された通信を通じて交流し、スターリンクによってネットが提供される。このような統治の空白の中で、支配から逃れるこれらの技術によって、この場所はある意味で政府から完全に自由であり、「自治」という右翼アナキストの夢を実現している。

06 密航、バウンティハンター、囮捜査

メーソットの中心部からバイクでわずか25分で、モアイ川に最も近いポイントに到着する。1997年に建設されたタイミャンマー友好橋がメーソットとミャワディを結んでいる。そこが正式な出入り口だが、そこから超法規的なエリアに行くことは不可能だ。パークに行くには、川を渡るしかない。

コロナが流行する前は、モアイ川の波止場は物資や人を運ぶ機能を果たしており、公園に隣接する波止場はパークの企業従業員に川を渡るための月極めのチャーターを提供することもあった。コロナ後、波止場は人を運ぶことができなくなった。パークの人々は、以前のやり方に戻ることを望んだが、いまだに果たされない。波止場が開かれれば、国境警備隊のケーキを取り上げてしまうからだ、という。この”ケーキ”とは密航である。波止場閉鎖後、密輸は儲かる産業になった。

カオ・ウィンはメーソットに住むビルマ人の出稼ぎ労働者だ。2024年初頭、彼は仲間の一人から、モアイ川沿いのサトウキビ畑でサトウキビを刈る仕事を紹介された。そこで彼は、サトウキビ畑は単なる隠れ蓑で、本当に必要なのは川を渡る人々を運ぶことだと気づいた。当時は乾季でモアイ川はとても浅かったので、彼はロープの片方を腰に、もう片方をボートに結びつけ、ミャワディの波止場に向かってボートを押すだけでよかった。

彼がそこで働いていた3ヵ月間、毎日10人ほどの人々が川を渡り、そのほとんどはタイからビルマへと向かった。カオ・ウィンが連れてきた人々のなかには、合計で4、5回ほど無理やり連れてこられた人も居た。サトウキビ畑の所有者と事前に話をしていた運転手は、畑を抜けて川まで車を走らせ、そこでカオと仲間たちは武器を持たされ、連れてこられた人の手を縛り、川をわたって対岸にいる武装勢力の将校に引き渡した。

ビルマ人はわずか1,000バーツ(約4500円)。一方、外国人は仲介業者と一緒に川を渡る。仲介業者はサトウキビ畑の所有者に、中国人は一人当たり10万バーツ、その他の国籍の人はそれより若干安い一律の料金を支払う。この金の一部はカレン族のBGFとタイ国境警備隊の両方に支払われる。

タイからミャンマーへ川を渡るのは簡単だが、戻るのはずっと難しい。バウンティハンター(賞金稼ぎ)はどこにでもいる。特殊詐欺構成員からパークの警備員まで、ミャワディの川沿いの村ではカレン族の村人までもが「捕まえる」ことに夢中だ。彼らは脱走者を捕まえると、その地区の民族軍に引き渡して数百バーツから数千バーツを稼ぎ、カレン族の兵士は好きな企業にさらに1人10万元ほどで転売する。どこの会社も人手不足だ。

取り締まりの後、いくつかの”正式な”パークは”募集”を規制しはじめ、人々がパークにつれてこられた際、それが自発的なものであるかどうかを尋ねられ、”不正な募集”であることが判明した場合、管理会社は釈放するように会社に命じた。しかし現実には、騙されてパークにきたとしても、その時にあえてそう言うことはないだろう。会社の手配による密航業者の護衛がなければ、釈放されてもハンターの手に落ちるばかりで、次のさらに規制のないパークに売られていくことになる。

さらに心配なことに、この1年、モエイ川のタイ側の村々にも「賞金稼ぎ」が現れるようになったことだ。ほとんどがミャンマー難民で、中国人の目撃情報を対岸の役人に知らせるために報酬を得ている。つまり、たとえ泳いで川を渡り、メーソットにたどり着いたとしても、まだ完全に危険から抜け出したわけではないのだ。

家出人が重要人物、たとえば卓越したビジネススキルを持つ人物や業界のお偉方を怒らせた人物だった場合、たとえメーソットまで逃げて警察署に入ったとしても、警察署で莫大な「賞金」をもらって「買い戻される」可能性がある。自力で脱出できる可能性は限りなく低い。メーソットで安全な唯一の方法は、「賠償金」を支払い、会社にすべてを手配してもらうことだ。

07 被害者

犯罪を理解しようと試みるとき、私たちは「被害者」と「加害者」を明確に区別する道徳的判断に入りたがる。実際には、「被害」はスペクトラムである。

特殊詐欺の被害者の中には、到着する前から何をされるかはわかっていたが、中の状況がこれほどひどいとは思っていなかった者もいる。被害者の中には加害者もいる。父親が息子を騙して入国させ、叔父が甥を騙して入国させ、かわりに自分が出られるようにするのだ。そこで苦しんだ末に帰国した者の多くは、母国に戻ってリクルーターとして働き、他の入所者を勧誘する。中国の僻地の山岳地帯では、村から村へとミャンマーに引きずり込まれることも多い。この業界に入る人のほとんどは成年になったばかりで、経験も資源もこの業界にしかなく、他に道を思いつかない若者たちだ。

「完璧な被害者」はたくさんいる。しかし、騙されて連れてこられただけでは不十分である。「完璧な被害者」と呼べるのは、幸運にもすぐに救出されるか、不運にもまったく何も成し遂げられなかった場合だけである。騙されてパーク入りし、長期間にわたって救出されなかった人々の大多数は、詐欺行為を続けざるを得ない状況に追い込まれるにつれ、自分が被害者に分類される可能性は低く、むしろ詐欺行為によって刑に処される可能性があることをますます認識するようになる。この自覚に後押しされ、彼らは業界の倫理やルールを積極的に遵守するようになる。

被害者の証言には一貫性がないことが多く、遭遇する場面によって語る内容も異なる。「自首」するためにメーソット警察署に逃げ込む被害者のほとんど全員が、拉致、奴隷化、搾取、逃亡の悲惨な物語を背負っている。生計を立てるために自らの意志で詐欺業界に身を投じ、長く血なまぐさい虐待の旅を経て、法の内の世界に戻ってきた人々の多くは、犯罪業界に毒された罪のない被害者の役割を演じたがる。

私たちは「拉致」と「脱出」を一方通行のものとして理解している。あたかも拉致されることが、明るい未来のある人生からこの下水道産業に引きずり込まれることであるかのように。そして脱出することは、あたかもこの邪悪な産業の世界から普通の社会に戻ることであるかのように。

現実はもっと複雑だ。メーソットに20年以上住むフィリピン人牧師のエマニュエルは、これまでずっと特殊詐欺のフィリピン人被害者を救い続けてきた。彼はしばしば地元の警察署、入国管理局、フィリピン大使館を行き来した。また、モアイ川まで車を走らせ、対岸から泳いでくる被害者を待つために何度も夜を明かした。彼は数え切れないほどの人々を救助したが、その多くはフィリピン大使館が会社から要求された巨額の「補償金」を被害者に支払った後に解放された。しかし、エマニュエルが落胆しているのは、解放された人々の多くはカンボジアのパークで働くか、フィリピンに戻り、地元のパークで働くようになることだ。

2024年11月末、メーソットの地元SNSに、KKパークから逃亡した中国人が泥とアザだらけになりながらモアイ川を泳いで渡り、上陸したところを地元の村人に救助されてタイ警察に引き渡されたという話が流れた。翌日、私は警察署の留置所にエチオピア人の詐欺師を訪ねていたとき、偶然この中国人に出会った。警察署に連行される前に村人に偶然発見されたことで、彼の連れは怒鳴り散らしていた。

私が中国人だとわかると、彼らはすぐに警察署を出る方法はないかと聞いてきた。警察署に入ることは強制送還を意味し、彼らは中国に帰りたくなかったのだ。2人はパニックになり、私が会社に連絡して警察署から身代金を引き出し、パークに連れ戻せるようにと、会社のオーナーの連絡先まで私に残していった。ようするに2人は会社の待遇の悪さに腹を立て、ボスに連れられて夜にカジノに行ったときに抜け出しただけだった。タイに来てからカンボジアに抜け出し、もっと給料のいい詐欺グループを探すつもりだったのだ。思いがけず、そのうちの1人が泳いで上陸したところを”親切な”村人に拾われ、警察署に”逮捕”された。

警察署を出た後、私は彼の代わりに父親に電話をかけた。思いがけず、向こうから濃厚な潮仙訛りが聞こえてきた。「気をつけろ、あいつに騙されるな!」と言いながら、父親は彼に構うことはないと言った。

2023年末の脱出ブームの時期、私はシャオウーにこのビジネスは衰退するのかと尋ねた。彼は、これほど多くの人が一度に逃げ出すのは、詐欺業界の取り締まりのためだけでなく、中国人が新年に故郷に帰りたいからだと冗談を言った。彼は業界の衰退をまったく心配していないー年が明ければ、新規参入者が押し寄せるだろう。実際彼が予測するように、2024年の新年が過ぎたころ、人の波は再び戻ってきた。

08 キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン:移民、正規化、国際化

2023年10月、中国政府の要請でコーカン同盟軍が特殊詐欺業界の浄化に乗り出し、ミャンマー北部から数千人の構成員を国境から中国に送り返したことが、中国世論で注目された。しかし、私が同時にタイ・ビルマ国境で目にしたのは、その北部からミャワディへ移動してきた数百の特殊詐欺業者だった。

1ヵ月後、私は警察署の独房で、鉄格子の檻に入れられた身なりのいい中国人に呼び止められた。彼は四川省の出身で、もともとはコーカンのラオカイのパークで働いていたと言った。2023年年央、彼の会社はラオカイが一掃されるという噂を聞きつけ、パーク探し、設備の購入、会社の移転の手配など、この地域を探索するために彼を派遣したのだという。9月に彼の会社は退去してひこっしてきた。ミャワディを離れた多くの構成員たちは、その年の9月から10月にかけて、何百もの企業がミャンマー北部のコカン通りからタイ・ミャンマー国境に移転したことを覚えている。ラオスのキンムー・ミャンマー特区も賑わいを見せ、物価が高騰したという。

掃討作戦がタイ・ミャンマー国境に達しようとしていることを聞いた男は、この産業が死滅するかもしれないと感じ、「兄貴分」に追い詰められる危険を冒してパークを脱出した。陸路で直接他の東南アジア諸国に行きたかったのだが、密航業者のボスが彼を連れ戻すよう指示を受けたとは知らなかった。彼はメーソット警察署に出頭せざるを得なかった。その頃、テレグラム内の特集詐欺グループは、多くの企業がカンボジア、ラオス、ドバイへの移転を準備し、出口戦略について話し合っていた。ドバイへの求人広告がグループのあちこちに出ており、ボスの多くはすでにUAEのパスポートを取得していた。

陣地を変えるだけでなく、取り締まりに対するもうひとつのトレンドは「トランスフォーメーション」である。騒ぎのさなか、タイ・ミャンマー国境沿いのパークは「普通の」「開かれた」パークへと変貌を遂げようとしており、亜太城もそう試みたひとつだ。中国語圏で悪名高いKKパーク建設もすでに第4期となってインフラがどんどん整備され、ミャワディで最も正式なパークとなって、ここで働きたい人や会社が最初に選ぶ場所と鳴っている。この1年、KKパークでは人身売買、拉致監禁、リンチなどの噂はほとんどなくなった。

国境線上に残っている企業も変身する必要がある。企業は中国盘(訳注:ロマンス詐欺を指す言葉「杀猪盘」から来た造語で、中国市場向けの詐欺を指す)を諦め国際市場に進出することになる。欧米、ブラジル、日本を対象とした成功したチャットの攻略と戦略が彼らのグループ内で多く出回った。これはようするに次のことを意味する。中国で特殊詐欺の被害者が少なくなり、業界は中国国民と政府の注目を集めてしまった。事業の転換を望まない企業は、従業員を連れて山中の「ブラックパーク」に移転した。これらの「パーク」はより隠されており、ターゲットにするのがより困難だった。

英語を話せない中国人構成員もAIリアルタイム翻訳ソフトを使うことができるが、結局海外市場開拓は「顧客」の習慣や嗜好を素早く把握するために、フィリピン、マレーシア、インド、アフリカなど英語母語者に大きく依存している。

マリオはまさにこの”国際市場”の仕事をしている。私が彼に会ったのは、特殊詐欺の実行犯が拠点にしていたメーソットのホテルに潜入したときだった。彼はエチオピアとイエメンの混血で、サウジアラビアで育ち、流暢な英語を話す。KKパークで1年過ごした後、彼は国境線上でもっともブラックだと言われたタイチャン・パークに連れて行かれた。彼はそこを去るまで、さらに6カ月生き延びた。泰昌公園のブラック企業で、彼はかなり苦しんだ。AI翻訳に頼る英語をまったく知らない中国人ですら彼よりも成績は良かった。「中国人は要領よく、直接本題に入って投資を呼びかけるんだ、僕は先に気持ちのつながりをつくって、とか考えちゃうんだけど」マリオは自虐的な笑みを浮かべて言った。アフリカ出身の構成員は通常、高学歴・高学歴の人材だが自国での雇用機会の不足が原因で、自国のエージェントに東南アジアには高給の仕事があると誘われてつれられてくる。

同じホテルでケニア人、インド人、パキスタン人、ベトナム人、フィリピン人、インドネシア人にも会った。公共の場でも、パークに関連する身分を隠す人はおらず、タブー視されるどころか、関連する話題が通貨のように流通している。そこで従業員を募集している人もいれば、次の会社を探している人もいる。どのパークが優れているか、どの会社が”ブラック”で訪問すべきではないかを議論するのだ。

メーソットはますます国際化している。グローバリゼーションの名残が、この辺境で野生化しているのだ。

09 おわりに

2024年6月、ウェイバイとシャオルーという2人のイ族の少年が、働くことに抵抗したため、パークサイド・パークから軍の駐屯地に送られ、殴られた。その後、彼らは国境の南、タイチャンパークに売られ、転売される道すがら、シャオルーが位置情報を送ってくれた。そこは伝説の「ミヤワディでもっともブラックなパーク」だった。1週間後のある夜、ふたりは一緒に脱出する準備をした。シャオルオは高い塀を越えて外に飛び出したが、ウェイバイは後を追わなかった。半年以上、ウェイバイの消息は途絶えた。俳優の王星が誘拐され売られたことで、この話題が再び表舞台に戻り、それに伴いウェイバイの兄のリブの希望にも再び火が灯り、弟とその友人の名前を尋ね人のリストに書き込んだ。

モアイ川

この産業がシュエコッコで2017年に最初の地位を築いて以来、国境沿いに広がり続けている。長くつづく国境線沿いの施設は不毛の町メーソットの周辺としては異様な光景だ。滝を探しにいくにせよ、開けた原野で遠くの山々や夕日の眺めを楽しむにせよ、あるいはミャンマーゲリラを追って高台に行き、かつて国境の向こう側で彼らが占領していた「解放区」を見に行くもせよ、その無垢な景色は、いつも背の低い家屋と作業中のクレーンの単調さに邪魔される。日が落ちるとそれらの美しさは消え、対岸の国境線沿いにこうこうと照らされた汚物だけが残る。

2024年以来、タイのペッチャブリー県と国境を接するテナセリム峠のスリー・パゴダ・パス一帯が、国境沿いの特殊詐欺産業の最新ホットスポットとなっている。汚れは国境に沿って南へ広がり続けている。