先般、Newsweek日本版にセクシャルマイノリティについての記事を書かせていただいた。ここでは原稿には入らなかったエピソードと関連のインタビューを紹介する。

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僕は正直、李銀河が「現役」だった時代をよく知らない。そして中国の一見便利で万能なインターネットはその実過去に対して非常に無関心で、10年くらい前のことを調べるのにも一苦労だったりする。

それでも、彼女の功績は圧倒的だということくらいはわかる。そして彼女のような「異なる意見を大きな声で述べる人」が中国社会においてそれでも潰されずに済んできたという事を見る時、いびつで、ある側面からはかなり病んでいるようにも見える中国という国にもこういう人を許容する部分があったと少しほっとするような気持ちになる。

今年1月に泉京鹿さんが朝日globeのコラム(終わってしまって残念)でちょうど李銀河と夫だった王小波について取り上げている。「もう沈黙はやめた 中国のLGBTを発信し続けた作家、遺志を継ぐ妻(2020/1/5)」がそれ。個人的に上野千鶴子を「日本の李銀河」という事は仕方ないと思えても李銀河を「中国の上野千鶴子」と呼ぶことには大きなためらいを感じるが…まあそれはさておき。李銀河とその配偶者だった王小波の功績を作品を紹介しながら書くという言われて見えれば確かにオーソドックスなまとめ方かもしれないが、それぞれになぜか(というとひどいな)読みたい気持ちにさせてくれる。素敵な文章で、お勧めだ。

李銀河のインタビューで日本語で読めるものというと少し古くなってしまうが(しかもウェブにはない)、ふるまいよしこさんの「中国新声代」だろうか。朝日の吉岡さんも書かれていたような気がするが、少なくともGlobeを含むasahi.comを検索しても見当たらない。

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李銀河の夫であり夭折した王小波というと、上記記事でも触れられている中国初のゲイ映画「東宮西宮」とのかかわりで考えてしまう。この映画は彼の短編小説をフランス資本で映画化したもので、彼自身も脚本として参加し、カンヌ映画祭にも出品された。しかし同性愛を事実上犯罪として取り締まっていた流氓罪(ちんぴら罪)が廃止される97年より前に撮られたこの映画は当然国内で上映されることはなかった。

ちなみにこの作品はいまでは中国語圏の動画サイトに公開されており、見ることができる。当時とは社会情勢が違うし、動画サイトと映画としての公開はまったくプロセスも審査の厳しさも違う、とはいえ不思議な気分になることは確かだ(なお作品自体に今日見る価値があるかというと…まあそれぞれの考えがあるとは思うが、「やることに意義がある」と思って作られたのでは、と思えてしまったのが正直なところではある)。

中国のLGBT問題についてはすでにたくさんの研究や記事があるし、大きな分野であり最初の一歩をどう踏み込めばいいかよくわからない。そんな人が日本語で最初に読むものとしてはハフポの「中国のLGBT運動はどのように広がっていったのか? 北京LGBTセンター事務局長・辛穎さんは語る」という北京同志中心の辛穎の講演録が比較的同性愛の歴史を整理された形でまとめているように思う。

ああそうだ。上の記事はまとまっているが、ただし中段の「カミングアウトは5%」からの数行だけは翻訳の間違いと結果の誇張のためにひどいカオスになっているので読まなくてよい。これはUNDPが中心となって16年に行った「中国性少数群体生存状況」という調査のレポートが出典だが、5%云々はいくつかあるグループの中で高い数値だった部分を勝手に削除した残りの平均だし、「職場でカミングアウトしている人は、そのうちの5.1%です」については「そのうちの」が余計だ。

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話が少しそれたが、今日紹介するのは南方週末によるそのレジェンド、李銀河へのインタビュー。彼女は68歳、すでに引退しているが、微博で結構活発に発言しており、読者とも交流していたりする。その彼女がちょっとだけ話題になっている離婚の30日冷却期間や同性婚、papi醤の子供苗字事件(簡単に説明すると女性の権利をコミカルに言うことを芸風にしていた人気動画配信者のpapi醤が生まれた自分の子供に夫の姓をつけたことでネット上で叩かれた事件)まで、さまざまなことを語っていて面白い。

民法典時代、李銀河が語る離婚クールダウン期と女性の権利

出典:民法典时代,李银河谈离婚冷静期与女性权利(南方周末 6/8)

2020年5月8日、中国は「民法典時代」に突入した。そしてその今、李銀河は山東省威海の海辺でリタイア生活を楽しんでいる。「王小波の寡婦」という身分は李銀河の学術上の成果、つまり中国はじめての女性社会学研究者であり、引退前は社会科学院社会学研究所の研究員であり、《婚姻法修改论争》《同性恋亚文化》《女性主义》といった代表作がある、といったものを幾分覆い隠してしまっている。

彼女のリタイア生活はとても規則正しく、毎日午前は書き物をして午後は読書、夜は映画を見る。時間があればSNSで人々から寄せられた質問に答えてもいる。そこには婚姻、家庭と愛情といった彼女自身ずっと研究してきた分野のことが多く含まれる。

「激情の愛といったものは時間の経過につれて薄まるものでしょうか?」民法典が全人代を通過したその日、李銀河は微博でこの問題に答えた。彼女は質問者に対して「激しい気持ちは柔らかい気持ちに変化することが多く、激しい気持ちが一生続くという事は多くない」「しかし柔らかい気持ちが愛ではないということはない。暖かく、弱い気持ちであってもそれは愛情のひとつです」と答えている。

李銀河は微博で彼女のトランスジェンダーの伴侶「大侠」との愛情についてのエピソードをシェアしている。「あなたのことを思うとすぐに泣いてしまうほどに心は深く落ち込む」それは暖かく、しかし激烈な言葉だ。2人は十数年前、少し学習障害がある壮壮という名の子供を孤児院から引き取った。李銀河は頻繁に、そして大変自慢げに壮壮の描いた絵を紹介する。李銀河はある意味で、その身をもって結婚というものの境界、家庭というものの真理を探し求めているのだろう。

民法典が正式に通過する数日前、本紙の記者は李銀河にインタビュー申し込みを行った。10分もしないうちに彼女は「民法典はとても重要」と返信してきた。

1. 離婚と社会の安定性に直接の関係はない

南方周末:民法典は新しく離婚に30日間のクールダウン期を設けています。この規定に関して多くの議論が交わされている。離婚のコストがこれによって上がってしまうという人もいますが。

李銀河:必要ないと考える人もいるでしょうが、私は30日は決して長いとは思いません。ふたりに少し冷静になる時間をあたえるという事にもある程度の意義はあるのではないでしょうか。二人が喧嘩をしたとき「もう終わりだ!」と言ってしまうような衝動的な離婚というものもあります。30日のクールダウン期があればその考えも変わるかもしれません。
いまは出会ってすぐ結婚することも多ければすぐ離婚してしまうことも多い。だから離婚にクールダウン期を設けることはよいことだと思いますよ。その期間もそこまで長いわけではない。1か月過ぎてもまだ考えが変わらないということであればそれは本当に離婚したいと考えているといっていいでしょう。特に新たな負担が増えるわけではありません。

南方周末:離婚は日増しに普通のこととなっています。あなたが昨年出版された「李银河说爱情(李銀河が愛情について語る)」でもこの現象を取り上げていましたね。それはなぜだと考えますか?

李銀河:社会学において離婚を測るためには2つの指標を用います。ひとつは離婚率、もうひとつは結婚と離婚の比率です。私が見た昨年のデータでは中国の離婚結婚比率は37%でした。今年のデータはまだ出ていません。1970年代は大体2%くらいで今は40%近いわけですから非常に高いといっていい。北京、上海、天津などのいくつかの大都市ではその比率は50%を超えています。

50%という数字は何を意味するのでしょう?聞くところによるとアメリカの同じ数字はとっくに50%を超えてすでに長い時間が経っているそうです。このデータから言えることはアメリカのすべての結婚の半分は離婚をもって終わるということです。

中国の離婚率の上昇もかなり速く、それは工業化、都市化、現代化に伴った現象であると言えます。これらが離婚の直接の原因というわけではないかもしれませんが、現代化のプロセスの中では離婚率の上昇という現象が起きます。

この中で重要なのは乡土社会(郷土社会)が現代社会へと変貌していくことの本質は(訳注:蛇足かもしれないが、李銀河の師匠にあたる费孝通の有名な著作に「乡土中国」があることが思い起こされる)、知り合いばかりの社会から周囲を誰一人として知らない社会に入るということでしょう。

なぜ農村の離婚率は低いのか?それは皆知り合いだからお互いに制約があり、もしあなたが離婚などと言い出したら親戚中が寄ってたかってやってきて止める、だから高くなりようがないのです。また知り合いばかりの社会では離婚という行為は悪いことというレッテルを貼られています(訳注:原文の「污名化」は最近使われることが多い「ネガティブなレッテル貼り」の意味)。「この人は離婚歴がある」といった場合非常に見下され、婚姻の失敗は様々な問題に波及するので阻止する力が非常に強い。これがムラ社会の現象のひとつです。

中国の現在の都市化率は約60%、周りを知らない社会になりつつあります。あなたの住む部屋のお向かいはなんという名前か知らないし、あなたとほとんど関係もない。そういう状況であれば離婚への抑止力はかなり少なく、ちょっと喧嘩した、仲が悪いというだけで離婚できてしまう。このような社会では離婚率は急激に上昇するでしょう。

南方周末:今回の一連の政策の背景には離婚率を下げたいという政府の意向があるように思います。離婚率が高いという問題は国家や社会が解決方法を探すべきものなのでしょうか?

李銀河:必要ないと思います。離婚は当事者2人が決めることで、その影響も2人に及ぶわけです。国や社会が干渉する理由はありません。もしふたりが一緒にいたくないと思うならば一緒にいるように圧力をかける必要はないでしょう。1970年代離婚は非常に難しいものでした。10数年務めて一回も離婚を許可しなかった担当官がいたくらいです。離婚と社会の安定性に直接の関係はありません。離婚が多くなったからと言って社会が乱れるということはないでしょう。

南方周末:離婚率の高さは婚姻制度そのものにどのような影響を与えますか?

李銀河:ひょっとしたら多くの人がもし結婚というものが離婚という形で終わりを迎えるものだとしたら、その(離婚の)苦痛に耐えるくらいなら別に結婚しなくていいと考えることはあるかもしれません。それがみな結婚したがらない理由のひとつです。だから、離婚率が上がり続けている社会では人々の結婚の意向も日に日に低くなっていくことを見て取ることができます。

2. 同性愛者が結婚を求めるのは、伴侶としての権利を求めているのだ

南方周末:民法典の編纂過程においてあなたは意見を述べましたか?

李銀河:私は引退してすでに長いですし、本当に参加していません。しかし多くの同性愛者が立法機関に対して手紙を書いたり署名運動をしたりといったことで同性婚合法化を民法典に入れるよう主張していたことを知っています。同性愛者のグループも非常にアクティブで、私はよくこうした団体と連絡を取っていて、彼らはよく私に様々な情報提供を行い、また意見も聞かれました。

南方周末:同性婚は最終的には民法典に書き込まれませんでした。全国人大常委会法工委の发言人も以前、一男一女という結びつきが基礎となる結婚制度を維持する必要があると述べています。あなたはこの結果を予測していましたか? 2016年、あなたは中国は14年後には同性婚合法化を批准するとおっしゃっていたようですが、それにどのような根拠があったんでしょうか。

李銀河:2016年のあの話は半分冗談みたいなものです。ネット上に35歳以下の80%が同性婚に賛成であるという統計がありました。当時の全人代代表の平均年齢は49歳だったので49と35という数字を使って、14年後にはいま35歳以下の人が人民代表になるわけですから立法機関の中で同性婚に賛成する人の比率も80%以上になる…そういった計算でした。

以前两会の時人民代表と政協委員に同性婚合法化の提案とアドバイスを行ったことがあります。ただ、いまの私はリタイアしたので基本的にそうしたアクションは起こしていません。

南方周末:民衆の同性愛者に対する認知度と許容度は法律の態度につながると思います。10年前、あるいは20年前と比べて、中国社会の同性愛者たちへの態度は大きな変化があったと感じますか?

李銀河:中国の民衆の特徴のひとつは受容度が比較的高く、政府は比較的保守的なことです。2007年に人々の同性愛に対する意見・態度についての調査を行ったことがあるのですが、多くの指標がアメリカより高く、オープンであるという結果がでました。例えば「同性愛は平等な就業の機会を得るべきか否か」という質問について、我々の調査では91%があるべきと答えました。同じような指標はアメリカでは86%に過ぎません。

米国社会の同性愛に対する態度は砂時計型で、上と下が高く中間が少ない。中国の場合はナツメ型で上下は小さく中間が大きい。完全に同性愛を受け入れられる人は20%程度、まったく受け入れられない人は30%程度、多くの人がその中間で特定の意見はなくどうでもいいと思っています。これは文化的な差異からきており、米国は宗教的な教えで同性愛に反対しており、信徒はとても保守的です。

中国は実は同性愛に対してずっと特別厳しかったとはいえないでしょう。西側社会は同性愛を非合法化した歴史がありますが、中国はありません(訳注:ここでどのような意図でこう言っているかは不明。流氓罪ちんぴら罪という旧刑法の一部が97年に廃止されるまでは同性愛はこの法律で取り締まられていたのが正しい。その法律も文字面だけをとらえれば確かに「同性愛が罪である」と書いていたわけではないので確かに「非合法化したことはない」と言って言えないことはないが…単なるレトリックである可能性もある)。中国において立法に関わる部分は普遍的に保守的であると考えるべきで、同性愛だけを狙い撃ちにして保守的であるというわけではありません。

南方周末:同性婚がまだ合法化されないことについて、何か補足などはありますか?

李銀河:同性愛者が結婚を望むのは伴侶としての権利を求めるからです。例えば伴侶が入院したらサインの権利を求めるでしょうし(訳注:おそらく親族のみに許される手術への同意書などへのサインのことを指す)、財産の合法的な継承権も必要です。もし法律上事実婚または非婚同居を認めることができるのであれば、同性愛者にとってひとつの問題解決の方法であると思います。

3. 女性主義者を化け物であるかのように語るべきではない

南方周末:以前独身女性に生育権を与えるよう法律を変えようと呼びかけていましたね。今回の民法典編纂の過程でこのような立法提起も行われていましたが、最終的には採用されませんでした。

李銀河:はい、それも私が残念だと思うところです。凍結卵子、人工的な生殖補助医療などを含む独身女性への生育権の付与は私が特別考慮されるべきだと考えている部分です。

過去を振り返るとこうした独身女性による生育はこうした要望を出す人の数が少なかったこと、加えて国家が非常に厳格な計画生育政策をとっていたことで、もし生育権を与えたら人口増加はコントロールできなくなるのでないかと考えられてきました。しかし中国の人口に関するプレッシャーは以前ほど大きくなくなっているので、こうした方面に関する障害は少なくなったと考えています。

私は国が計画生育を進めることは可能だと考えています。ぜんぶ撤回してすぐに好きに生んでいいよ、という事ではないと思う。しかし計画生育の単位は「一対の夫婦」から「一人の女性」に代わるべきです。つまり、ある一人の女性が結婚はしたくないが子供は欲しいといった場合、どのような理由であなたは彼女に産ませないのでしょう?そういったことです。もし彼女にそれを許さないというのならば、彼女は一生にわたって生育できないという事になります。法律は時代とともに独身女性の生育権を認める方向に向けて進歩する必要があります。

南方周末:独身女性の生育の問題は子供に父母どちらの姓を与えるべきか、といった問題に結びつきます。少し前、papi酱が子供を産んだ際母である彼女の姓を子供に与えなかったことは社会の大きな反応を呼びました。この反応からどのような社会心理を読み取りましたか?

李銀河:反応が大きかったことは女性の権利意識が高まっていることの表れのひとつだとは思います。ただその反応は少し激しすぎ、一部は極端すぎたと思います。姓の問題については法律は父母どちらの姓を与えてもよいと決めており、父姓を与えなければいけないという規定はありません。つまりこれは別に法律の問題ではなく、伝統と習慣の問題なのです。平等であるべきだという意識がそこまで強くない人にとってはどちらでもいいことでしょう、みなが父の姓を与えるのだから風習を守ってそのようにする、というだけです。

papi酱の件に戻れば、人々は彼女をずっと独立した女性だと考えていたので、その考えかたに対する期待も高かったということでしょう。「あなたは女性の権利を唱えているのに、なぜ子供に自分の姓を与えないのだ?」というわけです。私はこうした意見に道理があるとは思いません。屁理屈でしかないでしょう。最初の子供に父親の姓を与え、二番目が生まれたら母親の姓を与えるというやりかただっていいじゃありませんか。

papi酱を「討伐する」声の意図するところは女性の結婚生育への反対だと思います。こういった人たちにとって、女性が結婚するということはそれ自体が自分の独立した女性としての価値を大事にしないことなのでしょう。それも言いすぎだと思います。

女性主義というのは婚姻や生育に完全に反対するという事ではありません。その最も基本的な理念は男尊女卑に反対し、男女平等を求めるということです。結婚や生育は男性のための権利ではありませんが、子供に父親の姓を与えることが男女平等を損なうわけでもありません。多くの女性が結婚したいと望みますし、婚姻がすなわち男性からの搾取を受け入れることを意味するわけではない。多くの女性たちが子供を欲しいと思うのも、男性のために一仕事して、あるいは我慢をして子供を生もうというわけでもなく、自分で望むことです。

南方周末:女性主義についての話が出ましたが、最近少しこの言葉は汚名化されているように思えませんか。

李銀河:一部の過激なフェミニズムが女性主義全体の名を汚名化させていると感じます。西洋の女性主義には「分離派」というグループがあります。女性は性も含めてすべての事柄において男性の搾取と迫害から逃れるために接触を断つべきであるという主張ですが、これも過激に過ぎるでしょう。

もしあなたがすべての女性主義者を男性との関わりを全て絶つ、もしくは結婚や子供を持つことに反対するというような分離派のような過激さであると思うのならば、それは考え違いというものです。それは女性主義の中の極端な主張を全てに敷衍するもので、正しくありません。多くの女性主義者たちは婚姻にも生育にも反対しませんし、男性の姓を与えるという風習にも反対していません。西側はもっと「ひどく」て、ヒラリーは(ビル・)クリントンと結婚した後彼女は苗字を全部クリントンに変えてしまった。中国はこのことに関しては西側よりもちゃんとしていて、中国の女性は結婚しても姓を変えることはありません。

女性主義には様々なグループがあり、その中には過激なものも、柔らかいものもあります。戦略、あるいは個別の問題に対する態度において違いがあるのは確かですが、それでも共通のボトムラインは存在します。あるいは最大公約数といってもいいでしょう。それは男女平等を求める、ということです。男女平等を主張することが女性主義であるといってもいいでしょう。

我々の国において男女平等は基本的な国策でもあります。女性主義者を化け物か何かのように言うべきではないでしょう。