「この街にはホットラインがあって、受話器を上げてから60秒以内に警察が通報者のところに駆けつけることになっている 。いいか、話し終えてからじゃなく『受話器を上げてから』だ。自分がどこにいるかだって言う必要なんてないんだ。それに、全ての商店のカメラはシステムに繋がっているから、もし喧嘩やもめ事があったら自動で通報されるようになっている。マンションも全部、複層のカード式セキュリティになってるしね。北京とかだってこんなじゃないだろう?多分今のここは世界一安全な街だよ」

カシュガル市街

そう、漢民族の若い運転手は笑いながら口にした。彼が新疆ウイグル自治区最大の都市 カシュガルに移り住んだのは03年、もう15年も前のことだ。その頃の大家だったウイグル人教師から学んだおかげで漢民族としては珍しくウイグル語を解する彼は、それでも少数民族とは距離を感じている。
「僕たちは基本的に分かれて住んでいる。別に法律や規則で決められているわけじゃないけど、生活習慣ってやつが違いすぎるからね。彼らは夜中までうるさいし、体からなんとも言えない匂いがする。仮に家賃が半分だったとしても同じエリアに住もうとは思わないな、正直。」

主要なものだけで13の少数民族が住み、8か国と国境を接することから新しい疆=境界と名付けられた新疆ウイグル自治区。古来シルクロードを通じて行き来する異質な人や文化が出会い、時にはぶつかり合う場所だったここは今、アメリカと中国の衝突の火種のひとつとしてにわかに国際的な注目を集めている。今回は、そのカシュガルを旅した記録だ。

「対テロ最前線」カシュガルの威圧的な警備は、漢民族に対しては緩い

カシュガルとその他の地域との明らかな雰囲気の違いは、人口の9割以上を占める少数民族や立ち込める砂煙、色鮮やかなイスラム建築やバザールがもたらす異国情緒からのみ生まれるわけではない。外から来た人々を驚かせるのは、あたかも戦時中であるかのような厳戒態勢だろう。

どこにでも通報から60秒以内に到着できるとあって、数えきれないほどの警察官が街中を歩いている

林立する監視カメラ、鉄柵で覆われた商店、各所で行われている検問、地図にない公安施設、通りごとにしつこいくらい見かける突入防止用のブロックで覆われた交番、そして到るところで見かける自警団、警察、特警、人民解放軍の立哨歩哨。これらの人々や施設は基本的に撮影禁止で、見つかると拘束されることもある。

時折人数不足なのか、明らかな一般人が棒を持って立たされている場面に出くわすこともある

しかし実際に住んでいる身からすると、これらはそこまで面倒に感じるものでもないらしい。
「不便かって?別に不便とは思わないよ。まあ、悪いことをするやつらにとっては恐ろしく不便だろうけどね。それに今年の3月から漢民族はこうした街中での検査を基本的に受けなくてよくなったんだ。」政府の取り組みについて具体的な日付や金額などのデータに妙に詳しい運転手は、嬉しそうに言う。

地下街には、10-20mごとにワンボタンで通報できる電話が設置されている(上部の電話マークがついた「一键报警点」)。

この話を聞く前から、確かに警戒の緩さは感じていた。今年1月に北新疆地域を訪れた際の検問の数ははるかに多く、しかもその多くですべての車が止められ、銃を持った警察官によって後部座席及びトランクを開けた上での検査を受ける必要があった。それに比べて今回は基本的に徐行して窓を開け、人数を確認させれば通ることができた。

街中を歩いていても、どうみても少数民族に見えないだろう僕は基本的にほぼすべての検査がフリーパスだった。南新疆は北よりはるかに警戒が厳しいと聞いていて覚悟もしていたが、少し肩透かしをくらったような気さえしたくらいだ。

検問、カメラ、監視アプリ、強制集住、そして「再教育」…少数民族に対する監視・抑圧

しかし少数民族にとってこの地での生活は開放式の牢獄にいるのと大差ないといっても過言ではない。当然その大多数にとってはまったく関係ない「反テロ」を名目に、大幅にその自由が抑圧される事になる。

バスに乗っていてもチェックポイントごとに全員降車して身分証、街を歩いていても突然呼び止められて身分証、商業施設やレストランなどでも入念なボディチェックと顔認証および身分証の照合を通らないと入店する事すらできない。数日滞在すればうんざりするほど目にするそれらの検査を担当するのは、多くが同じ顔をした少数民族だ。

少数民族の警察官と市民で構成されていると思われる自警団

ほかにも抜き打ちで専用の端末で携帯内部の画像や通信記録、VPNやFacebookなどの特定の外国製アプリが入っていないかを検査され、そのデータを没収・消去されたり「有害な写真やサイトをブロックする」アプリを携帯に規定通りインストールしているかを確認されたりといった事例も報告されている。この場合、もしインストールされていない事が発覚すると10日間の拘束ともいわれる。

「きれいな心を保とう」というスローガンの「净网卫士」PC版。ダウンロードサイト の説明によれば「青少年の育成に悪影響を及ぼすコンテンツをブロックする」ためのものらしいが、実態はスパイウェアといわれる。

都市生活者だけでなく、遊牧民たちの生活も破壊されている。写真に写っているのは、近年続く地震をきっかけとして政府が遊牧民のために新たに建設し無料で提供している住居だ。遊牧民たちは元々住んでいた家を取り壊され、見るからに安普請のこの建物に住むことを強制されているという。

パキスタンとの国境付近に政府が新たに建設した現地生活習慣を無視した住居

壁が薄く寒暖の差が激しいこの地にまったく適さないという問題に加え、自分たちの家畜に十分な牧草地を確保するため、お互いに距離をとって住んでいた遊牧民たちの伝統的な生活習慣は、こうした住居群への強制集住で破壊されかけている。

中パ国境付近の少数民族

それ以外にも、長いあごひげ、新生児のイスラム的な名前、ブルカの着用、ラマダン中の断食、イスラム服を着てバスに乗る、18歳未満がモスクで祈る事などが極端化=過激派化の兆候として禁止されている。また従来行われてきた中国語とウイグル語のバイリンガル教育が形骸化させられ、外国居住者はビザの更新に必要な手続きを妨害され強制的に帰国させられるとされる。

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そして、急速にこうした抑圧的政策を代表する存在になりつつあるのが「再教育キャンプ」だろう。

再教育キャンプとされる施設 Photo©NYT  角度のみ修正

当初人権団体などが存在を伝え、脱走者によればイスラム教徒への豚肉食強制や「食事の前に『党に感謝!母国に感謝!習主席に感謝! 』と唱えないと食事をとらせないなど身体的・精神的な虐待が行われているとされるこれらの施設には、情報によって異なるものの複数の施設の合計で100万人が収容されているといわれ、また特に反政府的であったわけでもテロと関連があったわけでもない人が大多数とされる。

従来関心が薄かった国際社会ではあったが、おそらく米中の貿易面での軋轢といった背景もあり、欧州議会 や国連の人種差別撤廃委員会もステイトメントを出すなど、ここ数か月で非難の度合いを強めている。
特に10月4日にペンス米副大統領がハドソン研究所で行ったスピーチは、それまでのパートナーとしての期待を残したものから、多少の猶予は残しながらも相いれない国としての非難に軸足を移したようにも見える。

それに対して中国の外交部報道官は「根拠がない」 と否定するなど応酬が続いているが、その一方、新疆自治政府は10月9日、「新疆维吾尔自治区去极端化条例」の改正を公布し事実上、再教育施設の存在を認めている。

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中国は01年に「少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない 。」とした内容を含む国際人権規約を批准しているはずだが、現実にこの地で行われている事はそれと大きく矛盾しているようにしか見えない。しょせん外面だけの事かもしれないが、国内での法的な建付けはどうなっているのだろう。

表立って議論されているのを見たことがないので推測ではあるが、この地域がいわば反テロのために恒常的な戒厳令もしくは非常事態宣言下にあり、社会秩序の維持を目的に国民の人権をはじめとした各種の権利が制限されることもやむなし、といったことなのかもしれない。仮にそうだったとしても、いわば超法規的措置である非常事態宣言などの運用は法治国家においては厳密な監督の上に行われなければならないはずだ。であればその前提をクリアしていないという時点でどう言い訳をしてもアウトだし、そもそもそこまで取り繕う必要性を感じていない可能性のほうが大きいとは思うが。

全体の歪みは辺境に表れる

パキスタンとの国境に近いタシュクルガンの街

地理的な僻地であれ、性質の異なる例えば少数民族や信仰もしくは同性愛や障害者であれ、主流から遠く離れたいわば辺境の民ともいえるマイノリティの人々が被る様々な問題は、しばしばそこでしか起こりえない固有のものだと解説されがちだ。例えば今回のウイグル問題でいえば「彼らはイスラム過激派だから」といったものだ。
しかし個人的にはその多くは、主流とされる思想なり制度が本質的に抱える矛盾の表出ではないかと思う。辺境を見ることで、普段主流の中で暮らしていては見えづらい全体に共通する問題が見えてくるように思えるのだ(それが当サイトを「辺境通信」などと名付けた理由のひとつでもある)。

今回の旅で見えたその歪みのひとつが多様性への理解とその受容だ。中国は事実として多くの民族や言語、宗教や文化が存在する国で、そのこと自体は誰も否定しない。
しかしそれぞれの民族や文化同士の関係は一般的に多様性という言葉から連想される、それぞれの要素が並列・同等という関係ではなく「標準的もしくは望ましい姿」とそれ以外の「存在が許されているだけ」のものに分けられている場合が多い。そこにお互いに対する尊敬や尊重はなく、「最終的にはあるべき姿に同化すべきだが、今はまだ中途段階なので在ってもよし」という上下関係があるだけだ。

一番わかりやすい例が政治思想だろう。社会主義が優れた正しいものであることは前提であり、その他の考えを持つことも(政府に声をあげて反抗したりしない限りにおいては)自由ではあるが、だからといって社会主義とそれ以外が並列の地位にあるわけではない。

これが悪い事なのかといわれれば一概にそうとは言えないし、また中国固有の問題なのかというと、もちろん違う。しかし法的裏付けもないままに強制的に収容した人の人権を散々踏みにじった後に「施設での学習を通じて自分の過ちに気付いた。政府に感謝している」 などと発言させ、道行く人を顔つきで判断して身体検査を行っておいてそれが問題だという自覚すら持てない無神経さの根本には、自分たちと違うものへの理解の拒絶と傲慢さがある事は否定できまい。

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そして現在は抑圧側にいて安穏としている彼らが理解していないように思えるのは、これが化外の民だけに向く刃ではないということだ。あるべき姿が明確に示されているわけでもない以上、その合格判定は審判=権力によって恣意的に行われることになる。

例えばこの国には9000万人の共産党員がいるが、逆に言えば残りの13億は非党員だ。ある日突然党員でない事が罪であるとされたらどうするのか。あるいは1.8億人が信じる仏教が違法とされたら?世界で20番目に母語とする人が多い広東語が禁止されたら?
…これらはすべて地続きで、今問題にされていないのは単にそれを問題にしない(問題にしても利益がない)と上のほうの誰かが決めているだけのことに過ぎない。すべて「劣った存在」なのだ。

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人間は誰しも少数派の部分を持っている。違うのは比率と、それが日常生活と折り合いをつけられる部分なのかということだけだ。本来他人に迷惑をかけるような変態的性癖でもない限り、どんな外見でも内面でも、政府に干渉される所以はない。しかしこうした政治制度の元では、理想的な社会の成員たる完璧さを持たないという事は、それだけで罪たりえるのだ。

次の連休はお気軽に現地へ

恥ずかしながら、砂漠以外にラクダがいるのは知らなかった

ここまでとりあげてきたように、新疆ウイグル自治区の街は何の予備知識がなく訪れてもわかるほどに異常な場所になっている。それでいて治安は犯罪など起こりえないほど完璧にコントロールされているし、軍・警察関係の人物や施設を撮影するなどあからさまに挑発的な行動をとらない限りは政府に関係して危険な目に遭う可能性も低い。
勿論テロが起こらないと断言することはできないが、現地に行きその警備状況を目にすれば、それはマンハッタンを歩くよりよほど確率が低いと感じることだろう。

そして何より、(とってつけたようになってしまうが)郊外の自然は本当に雄大で美しい。またエキゾチックなバザールを見て回るのも楽しい。

毎週日曜にカシュガル近郊で開かれる家畜市場。市街地から距離はあるが、見学は自由

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ウイグル問題は、これからも折に触れて国際的な火種になる事だろう。しかし普通に暮らしていて接触できるウイグルに関する情報は、他の事柄に比べて信頼性にかなりの幅がある。

まず積極的に発言する人なり組織は問題に対してあらかじめ、ある程度の意見や立場を持っている事が多い。そしてその中には残念ながら「世間の注意を引くためならば嘘にならない程度の『修飾』は問題ない」と考えている人が一定数混ざっている。これはどちらの陣営も、旅行者であろうとジャーナリストであろうと研究者であろうと同様だ。
またメディアにとっては現地取材が困難なこと(観光客として訪れる事とジャーナリストビザで訪れる事の難易度はまったく違う)、今まで手掛けてこなかった分現地の基礎知識やコネクションが乏しいことも、声の大きい人からの影響の受けやすさや正確性の不足に影響している。

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東京からウルムチまで乗り継ぎ時間を含めても10時間程度。航空券も10万円に満たない金額で購入できる。世界で起こるすべての事をその目で見るべきとは思うわけではないが、ウイグルは現代の様々に入り組んだ問題を実際に見ることができる貴重な「辺境」だと思う。真冬は少し寒いが、よかったら次の連休に実際に訪れてみてほしい。あらゆる意味で一生の思い出に残る、印象深い旅行になることだろう。