本日、予告された通りにアリババのジャックマーが引退した。その最後のスピーチの速記が流れていたので、内容を紹介しようと思う。速度優先なので多少不正確な部分があったらお詫び…というか恐らく明朝にはきちんとした訳が出る気もするけれども。

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出典: 马云现场泪奔:青山不改,绿水长流( 虎嗅 9/10)

もしこの世界が、持続的な発展が不可能だとしたら、もしこの世界に技術や金融の恩恵がいきわたる事がないとしたら、誰かのために何かをする事がないとしたら、この世界はどんどんダメになっていってしまうかもしれない。もし技術がこのような問題を解決できないとしたら、そんな技術には一切意味がない。このような問題が解決されないとしたら、世界は様々な矛盾に満ち溢れたものになるだろう。もし過去20年がインターネット企業の20年だったとするならば、これからの30年はインターネット技術を使いこなす30年になるだろう。

このインターネットの時代、それぞれに与えられた機会を生かせるかは自分で自分を変える覚悟があるかにかかっている。すべての産みの痛みは自分の変える事によってのみ乗り越えられる。他人を変えようと試みてはならない。私たち一人一人は昨日の自分を乗り越えなければならない。未来においてはもしあなたが成功したいと願うなら、あなたの会社が成功したいと思うなら、あなたが個人として成功したいと思うなら、覚えておきなさい。自分のために考えるのではなく、他の人のために考え、世界のために考え、未来のために考えなければならない。

多くの人がジャックマーの話の視座は非常に高い、人類、世界、しかし私はわざとそうしているわけではない。

この20年、私はこれらを信じ、これらをやり通してきた。あなたが冗談だと思ったとしても我々はそういうだろう。あなたがもし信じるなら、私たちは勿論とても嬉しい。私たちの世代は最も幸運な世代と言えるだろう。第二次世界大戦以降、人類が得た平和が最も長く続いた時代でもある。私たちの世代は文革を経験した、私たちの世代は津波のような改革を経験した、私たちの世代は工業時代の輝きを見た、私たちの世代はすぐにデータ時代に踏み出し、すぐに新たな挑戦に立ち向かわなければならない。

我々全員はふたつの技術時代(注:恐らく工業時代とデータ時代の意)にまたがっている。苦痛ですか?悩みますか?しかし苦痛や悩みには意味がない。工業時代の強く、大きくあれという自分の中の基準を変えなければいけない。21世紀という時代にはあなたがどのような組織にいようが、どのような人だろうが、大きくなる必要も強くなる必要もない。必要なのは善である事だ。

善良であることは即ち、最強の力量を持つという事に繋がる。

こたびの変革は人類の自らへの挑戦であり、全ての人が自分を変えなければならない。

この20年、ある人はジャック君は本当にラッキーだったと言った。またある人はアリババは本当に素晴らしいと。しかし実はそれは正しくない。アリババが犯した間違いは他のどのような会社よりも多い。しかし我々は同時に正しい選択も数多くしてきた。我々はすべての重要な選択、アリババにとってキーになるような大きな決定をする時、一回もビジネス的な利益を元に決定を下したことはない。20年前から今に至るまで、すべての重要な決定は金銭とは関係なく行われた。

我々が毎回何かを決める時に考えるのは我々が投入する技術、我々が作り出す商品が社会の問題を解決できるかどうかだ。我々の使命、ビジョン、我々の価値観から出発しているかということだ。ビジネスを基準に決定を下すことも決して簡単ではない。しかし価値観を元に決定を下すことはさらに痛みを伴うこともある。

この20年、我々は常に疑われ、常に挑戦されてきた。しかし我々が自らに、未来に対する信心を失わず、疑いを持たなかった。だから我々は永遠に悔い改める事がないとさえ言われたことがある。アリババ人には明らかに歩ける、歩きやすい道があった。しかし我々は誰も歩いたことがない、しかし往かなければいけない道を切り開いてきた。

なぜなら、私はアリババを単に金稼ぎしかできない普通の凡庸な会社にしたくなかったからだ。

未来に向けて覚えておきたいのは、我々は永遠に自分が単なる金を稼ぐことしかできない凡庸な会社に代わってしまう事は望まないということだ。我々の目標は一貫して相手を倒すのではなかった。それは世界によりよい変化をもたらすことだったのだ。

我々は、強大な会社になりたいわけではない。社会において、世界において、普通のユーザの心の中において、我々がいい会社であると思われたいという事だけが我々の希望だ。強大な会社になる事だって簡単ではない。しかしいい会社になる事はさらに難しい。強大な会社はビジネス能力によって決まるが、いい会社は責任をもつ事、そして善良であるかどうかで決まる。

この20年の努力によってアリババは最高の人材、最高の技術、最多のリソースを持つようになった。しかしそれらの資産はひけらかすべきではない。それは社会の我々に対する信頼の証なのだ。社会は新しい技術を開拓できる機会を、多くの信頼を我々に与えた。我々ひとりひとりが感謝していると口にするが、社会の信頼に対して感謝を表現する最良の形は、行動をもって社会に多くの喜びを届けることであろう。

将来20年にわたって、我々にはこれらのリソース、人材、技術を使いこなすことで世界をより緑豊かに、そして豊かに、世界を持続的に発展させ、同時に世界を更に優しく、温かいものにしていくという責任がある。

中国に与えられたチャンスは非常に大きい。14億もの人口を持つ国はとても少ない。統一されたビジネスの基礎がある国はとても少ない。ひとつの省の人口がヨーロッパのひとつの国よりも大きいといった国はとても少ない。我々の国の経済にとっての最大のチャンスは内需の拡大である。中国の内需が発展したならば、中国の経済が成長するだけでなく、世界の経済も成長させることができる。内需の高まりは市場経済によるもので、政府の手段によるものではない。

アリババ人よ、こんにち我々が手掛けるニューリテールであれ、ニューマニュファクチュアリングであれ新消費であれ、もしそれらがうまくいかないとしたら、それはアリババの責任である。ただしうまく行ったとしたら、それはアリババとは何も関係がない。

もうひとつのチャンスがグローバル化だ。こんにち我々中国人は皆自信にあふれている。しかし我々が世界を見る見方と世界が我々を見る見方はちがう。世界は中国を恐れている。技術を恐れている。強大な会社を恐れている。

我々は技術が善意から出発する事を望む。技術が人々に絶望でなく希望をもたらすことを願っている。アリババが将来、新しいグローバル化に参加し、世界にチャンスをもたらし、世界の中小企業のセールスを助け、普通の人々が金融のサポートを受ける事ができ、世界中のモノが世界中にいきわたらせることができるよう望んでいる。これが即ち我々が望むグローバル化だ。

我々は技術により大きな希望を持っている。こんにちのアリババはテクノロジー企業になった。技術が強大であることは、社会にもたらす価値であり、人類に与えるぬくもりで決まる。アリクラウド、達磨院、アリババのすべての技術部門、スタッフは自己の能力、想像力をもって世界にチャンスをもたらしてほしい。技術は必ず善のために使われるべきだ。

我々が理解しなければならないのは、14億の人口、製造業は決して多くの雇用を生み出すことができないのだ。将来の中国の挑戦は就職であり、現代的なサービスをさらに発展させ、雇用を生むことができるサービス業をつくりだすことだ。アリババ人がこんにち手にしているリソース、人材と技術はこれらのために使われるべきだ。こうした重要な問題に正面から向き合う事でこそ、我々は102年続く企業となることができる。アリババは102年にわたって金を稼ぎ続けられるかを証明するのではなく、102年にわたって責任を果たし続けられるかを証明することが必要だ。102年続けるという責任感があってこそ、102年にわたって我々が金を儲けることができる可能性があるのだ。

みなさんありがとう。

自分について、私は自分の考えをはっきりと知っている。長い昔、アリババを作った時、グリニッジ天文台にいったことがある。誰かが私に太陽系はどこにあるのか?と聞いた。私も見つけられなかった。もうひとつは、地球はどこにあるのかという質問だった。私もどこにあるかわからなかった。銀河系の中に私は地球を見つけることができなかった。そして我々は地球の上のどこにいるのか。我々はなにものでもない。

その時私は悟った。この世界においては我々は誰でもない。人生とはあなたが何を得たかではなく、何を経験したかによって決まる。世界は美しく、色々な事が起こっている。私はみんな体験してみたいし、試してみたい。世界にはまだ美しくない事、間違い、思うようにならないところもある。私はそこに行って苦悩するべきだと感じた。

2013年CEOの職を辞した時、こんなに忙しくなるとは思っていなかった。董事長はもっと楽だと思っていて、この6年が以前よりさらに忙しくなるなんて想像もしなかった。アリババのの董事長を辞めるからと言って、リタイアするわけではない。私は立ち止まらない。アリババというのは私の数多い夢のひとつにしかすぎないのだから。

私はまだ自分が若いと思っている。まだ色々なところに行って遊びたいし、悩みたい。多くのこと、例えば公益や環境保護、こうしたことはずっとやってきた。しかしこれからはもっとよくできると思う。より多くの時間を使い、ひょっとしたらこれが私がやらなければない事なのかもしれない。

今晩を過ぎたら、私は新しい生活を始める事になる。

私は董事長ではなくなる。私は確信している。世界はこんなにも美しく、多くのチャンスがある。私はにぎやかなことが好きだし、何が楽しくてこんなに若くてリタイアしなければいけない?舞台は変わるが、青山不改,绿水长流(青き山は変わらず、水の流れは止まることはない)。また会うこともあるだろう。

みなさん、ありがとう。