ここ数年、中国の景気減速や企業の不調に関する話題は国内でもありふれたものになってきている。特に年末のこの時期になると、皆が転職を考える翌年の春節(旧正月)をにらんで人材会社などが作る「企業のリストラ状況一覧」リストが流出し話題になるのが近年の季節の風物詩だ。しかし年末に各社がこぞって発表する今年の流行語の多くに「996」という労働問題を象徴する数字が並んだように、2019年はその注目度合いが例年とは違っているようにも思える。

その印象を深くしたのが、年末になって大手2社が従業員との紛争を起こしていると相次いで報道された事だ。11月末になって、いまやグローバル企業として認知されるようになったファーウェイ(华为)と、ネットゲーム”荒野行動”や日本人声優や絵師を起用し徹底した日本風がウケた”陰陽師”など人気ゲームをコンスタントに発表しているIT大手ネットイース(网易)で相次いで起きた労働問題が大きく「炎上」したのだ。この二社の事案はほぼ連続して起こっているが、まずは「よりひどい」と言われたファーウェイの件から紹介しよう。

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11月28日、解雇になった元従業員の李洪元が会社から通報されて8か月以上も警察に拘留されたことがとある自媒体で暴露された。しかもそれは従業員側に不正行為があった等ではなく、内部通報への報復だったというのだ。

李とファーウェイの労働契約は17年末に切れ、会社側が更新を望まなかったため契約解除の対価として経済補償金約30万元(≒480万円)を支払う事で同意し、部門アシスタントの個人口座から18年3月に支払われた。李は当時個人の口座から支払われるのはおかしいと思ったものの、以前同僚が同じような受け取り方をしていた事から会社の指示だと認識し、そのまま受け取った。

そして時が過ぎ、18年末になって李は突然地元の警察に拘留される。それはファーウェイが「李に恐喝された」と訴えたことが原因だった。李はインバータ部門に勤務していた16年に部門内の業務にまつわるデータ捏造を内部告発したことがあり、因果関係は不明だが結果として18年2月に関係者が処罰された。ファーウェイはこの件で李が部門を恐喝し、補償金名目で30万元を脅し取ったと通報したのだ。

李は告発のあと社内で様々な嫌がらせを受け、身を守るため会話を録音する習慣をつけていた。結果としてこれがのちの彼の無罪を証明する事になる。退職にあたっての人事との交渉を全て録音していたため、彼は251日もの拘束の後、時間はかかったものの無事に不起訴処分となり釈放された。問題が表面化した後ファーウェイは「ファーウェイは事実に基づき、違法行為を司法機関に通報した。しかし警察や検察院の決定を尊重するし、もしこの従業員が自らの正当な権利を侵されたと認識するのであれば、法律という武器をもって自らの権利を守る事を支持する」という声明は発表したものの、発端となった事件そのものには触れていない。仮に非を認め謝罪ということになれば、従業員(しかも部門責任者クラスだろう)が内部告発に対する私的な報復を、しかも公権力を巻き込んで行ったと認める事にもつながりかねない。また発端となった不正が行われていた部門は太陽光発電に関係しているいわゆる補助金ビジネスであり、そこでの不正の発覚は補助金の支給側である政府部門にも波紋が及びかねない「敏感」な話題となれば、恐らくファーウェイとしてそれを公に認める事はないだろうことも想像がつく。

この件が報じられ始めると、関連する記事が非常に広い範囲で削除されたり、投稿者のアカウントが永久凍結されるといった事例が報告されはじめた。中国では不祥事があると企業からメディアに働きかけて記事を消させるという事自体はよく行われるが、僕が今まで見た中でも今回のファーウェイ側の対応の規模と速度はかなり珍しい。ネット上では「資本の力がインターネットすべてを404にするまで」といったタイトルでこの対応を皮肉る記事が出回り、これもあっという間に消されてしまった。

ネット上で出回っている画像。「龙岗区No1セールスの録音ペン」の広告の体裁だが、実際は龙岗はファーウェイの本社所在地、下の251は李が拘束されていた日数、996は長い労働時間を示している風刺。

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その数日前にはネットイースが大きく騒がれた。従業員が11月24日、微信の自分の公式アカウントで「网易裁员,让保安把身患绝症的我赶出公司。我在网易亲身经历的噩梦(不治の病に侵された僕を警備員に命じて会社からつまみ出させたネットイースのリストラと僕がそこで味わった悪夢)」というタイトルの記事を配信した事から始まる。

この告発者によれば既に大学卒業後入社してから5年間で計4000時間というサービス残業にも耐えずっと勤務していたにも関わらず、拡張型心筋症を患った途端に突然低い勤務評定を付けられ、チーム2位と業務成績も悪くなかったのにパフォーマンスが低い事を理由に退職するよう迫られた。しかも会社都合での退職時に支払いが義務付けられている経済補償金を受け取ると不利になると脅され、暗に辞退すれば低い勤務評定を書き換えると取引を持ち掛けられた(中国では採用の際勤務状況などを以前の職場に聞く事が一般的のため、離職前の評価が低いと次の仕事が見つかりにくい)。しかも結局一方的な解雇扱いになったものの補償金は約束された期限通りに払われなかった。

さらに人事はプレッシャーをかけるために家族にまで電話をかけて「この人は勤務成績不良のため解雇しました」「自殺の恐れがある」などと言い動揺させ、座席を部屋の隅に追いやり同僚に監視させ、上司も上司で「君にはふたつ選択肢がある、自分から退職願にサインするか、サインさせられるかだ」と言い「もしそれでもサインしなかったら?」と質問したら「さあね、そこからは『ITとガードマンの仕事』だ」と言い放ち、その後も退職前に治療のため入院していた期間に当然出勤しているわけがないのに「早退」した記録を捏造された…聞くだけで嫌な気分になるエピソードがこれでもかというほど紹介されている。

この投稿がネット上で爆発的に話題になった事になった事に対し、ネットイース側は「この従業員の能力は基準に達していなかったことは事実。しかし上司は当人の病気について十分に把握しておらず、また解雇に至るまでのプロセスの中で多くの適切でない行為があった事を謝罪する」とする声明を2回に分けて発した。また声明の中で当事者への謝罪と補償や関係者の処罰、制度の改善などを行うと約束し、同時に経営陣が当事者に会って謝罪をする事などで和解を果たした旨も書かれていた。

中国のネット上ではこの会社側の対応を一定程度評価する声が多いが、そもそも勤怠の偽造から本人や家族への脅迫や威圧行為などは常識では考えられない。こうした行為は会社側の声明でも否定もされていない以上、程度はともかく一定程度存在していたのだろうと強く推察される(ただし逆に「チーム内2位」というのが本人がいう成績ではなく勤務時間の長さだったという点は明確に指摘されており、告発側も話をある程度「盛って」いる可能性が強い)。

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ネットイースに限らず、中国の会社では営業だけでなく人事を含むバックオフィスもKPIと呼ばれる数字目標で管理されている事が多い。だからできるだけ取引先に金を払わない財務担当者の社内評価が高いといった奇妙な現象も往々にして起こる。本件もおそらく根本的な原因は人事担当者が「退職金支払額を前年比でXX%減らす」とか「従業員を年間でXXX人減らす」といった不健康な必達目標を背負わされ、未達の場合は自分がクビになったり給料やボーナスを減額すると脅されたりして行った行為だった可能性が高い。

中国では日本と違い「会社のため」といったあいまいな基準で自発的な行動を促すよりは、細分化された賞罰付きの明確なルールとKPIで管理する方が有用という話はたびたび紹介される。必ずしもそれ自体が悪いとはいえないが、この仕組みは業績の悪化などでプレッシャーがかかると逆回転し、何をやってでもKPIを達成しろという雰囲気を生みかねない(実際、ネットイースの業績は悪化が囁かれている)。これから中国の景気減速が長引く状況でこうした運用が続けられれば、まだ名前の挙がらないその他の名だたる大企業も含め高い確率で同じような事が起こり続けるだろう。

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こうした深刻な労働問題の表面化は、年初から続いている。そのきっかけとして今年3月から4月にかけて一気に話題になり、流行語にもなった「996問題」をおさらいしよう。中国のプログラマーたちが米GitHub上に「996.ICU」というプロジェクトを立ち上げ、「朝9時から夜9時まで、週6日」の労働を強いる企業の告発を始めた(いまもそのリストはアップデートされ続け、12月30日時点で242)のがその発端だ。

「996.ICU」公式ロゴ

それに対してアリババのジャック・マーやJD.comの劉強東など著名IT系経営者が996労働を擁護する発言を行い、ネット上で反発が広がり…といった具合にこの話題は「炎上」を繰り返し大きくなり、長くても数日で収まる話題が多い中で珍しく比較的長期にわたって話題になり続けた。

ジャックの「996は強制されるべきものではないが、幸福を手に入れるためには時には奮闘する事も必要だ」といったセリフは自らの実体験にも基づいており、実際のところ身もフタもない道理でもある。しかし、人々の多くはジャックや劉が過ごした競争相手も多くなく経済全体が極端に成長していた時期と景気も悪化し競争が激烈になっている現在とは根本的に環境が違う上に彼らは突出した偉人で天才であり、生存者バイアスでしかないと感じたため反発したのだろう。

中国でも「労働法」「労働契約法」等の法律で超えてはいけない業務時間(毎日8時間、平均して合計週44時間を超えてはならない。やむを得ない状況である場合労働者の健康を害さない事を前提に毎日3時間までの残業を許すが、その場合も月の合計が36時間を超えてはならない)やそれを超えた際の割り増し給与は定められているものの、それが現実的には歯止めになっていないというのが実情だ。自ら望んで長く働くならともかく、法律の保護が実質上薄い状況下で業績悪化による非現実的なKPIを達成するために残業を強いられるという構図の常態化が、これが社会問題となった背景といえるだろう。

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今回挙げてきた問題のいずれもが結局、埒があかないと感じた当事者が広く世間に暴露し、ネット世論の力で大企業に対抗する事を選んだ事になる。しかし運よくその投稿がネット上で話題になれば企業側も仕方なく対応するが、これらは本来当然提供されるべきものが騒いだ結果ようやく提供されるに過ぎない。そして大企業と個人のパワーバランスの前に被害者の大多数が泣き寝入りを余儀なくされているという事が実態だ。実際、ファーウェイも996の震源地でもあったGitHubに” Evil Huawei”という告発プロジェクトページが作られまとめられるほど、従業員との紛争は頻発している。

「Evil Huawei―ファーウェイが冒してきた悪」と題したページ。労働問題だけでなく製品に関する疑惑や不祥事なども取り上げられている。

この問題を「法制度の運用が十分に公平ではないから救済されるべき人に手が差し伸べられない」と捉えるのか、「それでもネットの力があったから一部は自力救済できた」と捉えるのかは立場によるかもしれない。しかしどのような意見を持つにしろ、中国を代表するはずのグローバル企業であり日本にも支社を持つ両社で起こった事件とその対応は、こうした労働者の権利に対する粗末な意識を表していると言わざるを得ない。996の強要にせよこうした不当解雇や私的報復にせよ、資本家に搾取される労働者や小作人を解放する事を謳った社会主義を標榜する国で繰り返されるこうした労働者いじめは、いつになったら撲滅されるのだろうかと思えてならないのだが。