キューバ・ハバナの中華街を歩く

世界に中華街は数あれど、これだけ「門だけ立派」な中華街も珍しいのではないだろうか。最初にこの地域を歩いてみて一番感じたのは、そのことだ。

首都ハバナ。”チェントロアバーナ”とスペイン語読みだとよくわからないが英語にするとCentral Habana、観光客がよく訪れる文字通り中心部裏手にその「中華街」はあった。しかし「華人街」と書かれた大きな門はあるものの、その奥には何もない。雑多な漢字の看板、暇そうに座り込んでいる隠居老人、今の時期であれば旧正月の装飾、中華街という言葉で想像するそういったものはまったく見られない。

今回はこの不思議な中華街と、地球の反対側、キューバにいる華人についての話をしたい。

例外的な日本の中華街

日本は中国に近く、移民の数が多い事もあって、中華街も他の国のそれに比べて全般的にかなり規模が大きく、たとえば横浜中華街はアジア最大といわれる。よく北米ニューヨークの中華街が「アジア以外で最大」と言われることを考えれば、世界で一番といっても差し支えないだろう。

そして単に中華系移民がまとまって住んでいるから結果としてレストランや中華食材店があるというだけのいわば身内、生活者に向けた「中華街」に比べ、日本のそれはどこも観光地化し、それなりに成功している(現在の横浜中華街が直面する過度な商業化、新旧華僑の摩擦などのエピソードも興味深いが、別稿に譲る)。私が歩いたことがある他の国で言うと、サンフランシスコのものは少しその傾向があるが、それは決して標準だとは言えない。

バー「北京」。BeijingではなくPekin表記。

閑散とした「中華街」

しばらく歩きまわると、ひっそりと数軒のレストランやバー、小さな武術学校、洪門の会館、中山(恐らく広東省中山出身者の同郷会)の会館、キューバ華僑社会主義同盟と書かれた看板が出ているビルを見つけることはできた。孔子学院(中国政府運営の語学教室)は結構立派なビルに入っているが、やはり閑散としている。

洪門会館。
李龍西という華僑の名を冠したと思われる公所

しかも、それらは隣りあっているわけではない。歩いていてぽつぽつとそういった看板を見かけるだけだ。そのせいか、あまり「中華街」という雰囲気は感じない。同じ社会主義を信奉する同盟国ではなかったのか?とも思ったが、では資本主義国家は皆仲良しかと問われればそうでもないわけで、あまり決めつけるのは良くないのだろう。またそれ以前にキューバはソ連と仲が良かったはずで、であれば中国と仲が良くなろうはずもない。

キューバ武術学校。
武術学校の内部。2015年に創立20周年として送られたタペストリーが見える。

大通り沿いに、少し投げやりにも見える「中国城」とペンキで雑に書かれた看板が設置されている細い路地。そこに3,4軒のレストランがあった。


適当な感じが漂う「中国城」の看板。この路地に数軒の中華料理屋が集まっている。

中国人のいない中華料理屋「广州餐馆」

一番入り口に近い店が偶然「広州」を謳っていたのと中国語のメニューがあるというので少し期待して入ってみたが、どこがどうなるとこれが中華料理と呼べるのか、なんというか、母国からの距離を強く感じる味だった。ウェイターはもちろん、厨房を覗いても当然中国人ではない…というのは和食や他の国の料理屋であればよくある事ではあるが、こと中華となると、悲しい気分に包まれる。
といって責めるのは恐らく少し酷で、キューバは長く経済封鎖により外国製品が入らなかった場所で、後述するように移民の受け入れも行っていなかった。地球の反対にある国の料理の食材もノウハウも手に入らなければ、手近にあるもので似たようなものを作り、我慢するしかないだろう(それにしたって、という気持ちはないでもないが)。

広州レストラン入口。建築はキューバ風だが、他の店と違いぼんぼりは新しかった。

そのレストランのメニューに書かれた店の歴史が面白かったので、Googleの力を借りて訳出したものを紹介してみよう(正確にはスペイン語→英語をGoogle、日本語化は筆者)。

クリックで拡大(スペイン語)「我々の150年以上の歴史。
我々の歴史は1958年(注:恐らく1858年の誤記)に開店した最古の茶館に遡る。
当初よりその卓越したサービスと素晴らしい食事は有名だった。この店は1996年に中国文化、特に広州の文化を取り入れ、この場所に再度オープンし、当地で最も有名な4軒の中華料理店のひとつとなった。
我々が提供するインターナショナルキュイジーヌと中華料理はお客様に特別な印象を与えるものだと確信している(中略)。中国のことわざによれば、蘇州に生まれ、杭州で楽しみ、広州で楽しむのが最上とされる。」

彼らはどこから来たのか?

アメリカなどで中華系の移民というと、台湾か広東省出身というイメージがある。そして一番目立つ所にあったのは広東料理…といって、移民が広東省出身者ばかりかというとそうでもないのかもしれない。一軒横のレストラン东坡楼は恐らく料理の「东坡肉トンポーロ―」とかけた名前で、この料理は浙江省杭州の名物であったり、中国系のQAサイトによるとそのさらに横の「天壇」というレストランのオーナーも浙江省出身者とのこと。

レストラン「トンポーロ―」。まったく客は入っていなかった。

ラテンアメリカ最大の中華街だったハバナ

駐キューバ中国大使館によれば、それでも現在キューバ在住の中国人は人口の1%、10万人程度はいるそうだ(定義がはっきりしない「華人」という表記で、恐らくキューバ側の統計を基にした「中国系キューバ人」を指すと思われる。長期短期の別なく、滞在中国人の人数は不明)。
またアメリカと同様、歴史をたどるとキューバの開発、サトウキビ畑開拓や鉄道の敷設には多くの苦力(クーリー)と呼ばれる中国人が使役されたとの記述もある。結果として今のキューバの音楽には時折、中国的なメロディが潜んでいたりもするという。

そしてあまり整備されているというわけではなさそうだが、観光スポットにもなっている中央墓地の横にはわざわざ「中国人墓地」が独立した区画として存在したりもする。そもそも、街を歩けばよく「チーノ!」と声をかけられるという事自体、キューバにおいて長らく「アジア人=中国人」である、もしくはあったことが伺われる。

実際、ハバナの中華街は革命前までは4万人以上が暮らすラテンアメリカ最大規模のチャイナタウンだった。あの門は、その当時の名残なのだろう。また、中華系キューバ人は革命にも協力し、実際に革命軍の3人もの将軍が中華系だったらしい。

完全にキューバ人化した元・華僑たち

しかし、首都ハバナを歩いていても、10万人いるはずの「アジア系キューバ人」を見ることはほとんどない。彼らはどこにいったのだろうか?街中で見かける中国の痕跡といえば、ほとんどの観光客向けバスが中国製であるくらい。短い滞在ではその辺がよくわからなかったが、どこかで会う事ができるだろうか?そう思って旅の終盤に出会ったキューバ人に聞いたところ、こんな話をしてくれた。

「キューバ革命政府は、ひとつの民族が一か所に集まって暮らすことが、逆に特定の民族を特別扱いすることになり差別につながるとして認めなかった。だから『中華街』といっても、他の国のように中国系の人が集まって住んでいるわけではない。また革命後は外国人の帰国や外国からの移民を許可しなかったので、今キューバにいる華僑は革命前から長く住んでいる人とその子孫ばかりで大体がほかの人種と結婚して子供を設けており、しかも集まって住んでいるわけでもないので完全にキューバ人になっている」

実際、14年にキューバ中華総会館のトップ周卓明を中国メディアが取材した際、こうした事情から華僑としてのアイデンティティがほぼ失われてしまっている現状を嘆くようなことが語られている。
なお、現存する中国生まれの移民一世のキューバ人は、おそらく400人程度であろうと言われている。また、中国語の新聞Kwong Wah Po(おそらく光華報、マレーシアの同名の新聞との関連は不明)が政府援助の元、発行が続けられているらしいが、wikipediaスペイン語版によれば月間で発行部数は600部とあるので、実際に中国語話者の人口はこの程度なのだろう。
このような環境の中、民族的なアイデンティティを保つために孔子学院をはじめとした中国語教育、武術や芸術などを伝える学校の設立など努力は行われているようではあるが、道のりは決して楽なものではないだろう。

とはいえ、現在では中国の国力も大幅に上がり、キューバも国外への開放に徐々に動き始めている。強大になった祖国を見てアイデンティティに目覚める移民もいるかもしれないし、今後両国の往来がさらに活発になれば、また多くの中国人がビジネス目的で訪れ、そこを狙った料理屋や食材屋ができて…といった形で再度この国の中華街も、その門の大きさに適うくらいの賑わいを取り戻す日が来るかもしれない。その頃またここを訪れ、中華料理を食べてみたいとふと思った。

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