中国におけるジャーナリズムやメディアは、日本やその他の国のそれとは名前が同じだけでまったく別物と考えて差し支えない。党により「喉と舌」と規定されている中国のメディアは、起きたことを読者のために(たとえそれが誰かにとって不都合であっても)伝えるという前提には基本的には立っていない。
そこには権力者個人として批判・攻撃を受けたくないという面はもちろんあろうけれども、それよりも絶対に変えられないもの=社会主義を持つ以上、正しくないと思えば何にでも刃をむける可能性があるジャーナリズムという存在が許容されないのは(賛成するかは別として)ある種当然のことではあるとは思う。

そうしたそもそもの成り立ちや考え方が違うという根本を踏まえると、なぜ党や政府がメディアに対してここまで厳しいのか(同意できるかどうかはさておいて)、その理由を知る事が出来る。

 

今日紹介する記事は「新京報」という北京の新聞の社長の辞任のニュース。新京報は元々は都市報と呼ばれる、タブロイド紙の一種だった。これは党報と呼ばれるいわゆる「党の通達を広く知らせる」という性格を持つ中国における従来型の新聞と違い、より市民が関心を持つ身の回りの出来事などにフォーカスし、また経営としても広告を取り入れたことが新しかった。
そもそも党報は党によって賄われており読者が自分で買うものではなかったわけで、新しく現れた都市報はいまの日本人にとって当たり前な「読みたい内容が書かれているから買う」当時としては画期的な新聞だったのだ。

 

新京報は有名な南方週末の親会社である南方日報グループと北京のメディアグループの合弁として開始したものの、11年に党宣伝部にめしあげられ、直轄になった。形式上はいわゆる党報の仲間入りをしたわけだが、出自がそうした都市報なので比較的リベラルだった。

特に今回話題になった社長の戴は13年の「南方週末事件(広東省発で全国的に人気が高かった南報週末の新年社説が検閲を一度通過したにも関わらず勝手に内容を変えて発行され、編集部だけでなく抗議運動が広がった事件。リンクはWikipedia)」に際して「南方の粥」というタイトルのぱっと見グルメ記事、よく読むと南方週末を応援する記事を掲載したり、南方週末を非難する人民日報系の環球時報の社説を転載しろと言われて拒否して怒られたり、しぶしぶ掲載するにしても「サーバが壊れちゃって更新できませんでした」と牛歩戦術に出たり…といったことで有名になった人物だ。

彼は必ずしも都市報の歴史をすべて見てきた生き証人というわけではないと思うが、近年勢いを失う紙媒体、都市報の中でそれでも名が知られる存在ではあった。その戴の退職は(裏にどのような事情があるかはわからないが)、都市報全体の歴史にとって大きなピリオドになる。というより直接そうとは書かれていないが、これは都市報という、一時代を牽引したメディアへの追悼文に他ならない。

 

なおこの記事も発表1日後には削除された。

最近、記事の削除が多くなったと肌感覚でも感じる。しかしそれは「敏感」な情報が増えたからではなく、削除の範囲が広まったことが原因と思われる。怖いのは、その基準がよくわからないことだ。それこそ南方週末事件のような話になるが、検閲は基準がはっきりしていれば戦うことも、避けることも出来る。しかし先日の林木木の記事とまた同じ話になるが、何が駄目で何がOKなのかわからないというのは、精神的にもつらいはずだ。この記事自体も、感覚的には特段削除されるような危ない内容を含んでいるわけではない。戴が一時期反抗的であったことは事実なのだろうが、その程度で削除されるものなのだろうか…。

 

ひとつの時代の終わりを告げる
新京報社長 戴自更の離職

出典:新京报社长戴自更离职 一个时代或宣告结束

8月3日午後、「記者の家」公式アカウントが新京報社長の戴自更の離職を複数の関係者の情報として報じた。後任には北京市東城区委員会常任委員、宣伝部部長、北京市東城区政協主席などを勤めた宋甘澍があたる。

戴自更は中国における都市報を代表する人物で、彼の離任はひとつの時代の終わりを感じさせる。

華西都市報から始まる中国の都市報の20年の歴史は、まさに波乱万丈だった。私たちは時代を記録し、生活を変え、都市の片隅に住む一人一人と共に泣き、共に笑ってきた。メディア産業の発展は、同時に都市報の輝ける発展の歴史でもあった。

華西都市報は「市民生活報」というポジショニング、「全身全霊で市民のために尽くす」という趣旨で1995年1月1日に生まれた。驚異的な速度で人々の家庭に入り込み、影響力を強め、市場を開拓し、全国の都市報で立ち上がった都市報に学習の機会を与えた。

90年代後半、都市報は全国各地で雨後の筍のように生まれ、発展してきた。「都市報現象」は中国のジャーナリズム発展の象徴であった。南方日报社が《南方都市报》,福建日报社が《海峡都市报》,重庆日报社が《重庆晨报》,河北日报社が《燕赵都市报》,河南日报社が《大河报》,湖北日报社が《楚天都市报》,人民日报社が《京华时报》,光明日报社と南方日报社が協力して《新京报》を…全国の主要都市だけでも300以上の都市報が生まれた。いくつかのメディアは都市報を名乗らなかったが、これらのメディアもその理念、趣旨やスタイルは全国の都市報と同じスタイルで、これらはまとめて「都市報系」と呼ばれた。

都市報は発行形態こそ新しかったものの、同時にプロとしての報道主義を守った。そして、ジャーナリストとして、メディア人としての理想を胸に秘めた存在でもあった。20年にわたって、都市報は真実を伝え、悪をただし、事件の真相を広範な読者に伝え続けていた。あの時代、都市報人は夢と理想を巻き込みながら前進したのだ!

 

20年の発展と変化を語るときに、都市報の発展は広告売り上げだけでない新しい産業化のステップに入った。都市報はオフライン、リアルなどの垣根を越え大きな海を開いていき、業界を拡大し、同時に「二次セールス(訳注:原文は「二次售卖」。古いメディア論で、一次=媒体本来のコンテンツ、二次=広告という分け方があるらしい)」というたったひとつの経営方式から徐々に抜け出し、様々な産業発展の青写真を描き、集約化、大規模化、産業化のレベルを大幅に引き上げ、発展してきた。20年来、都市報発行・広告経営は毎年新しい段階を迎え、発展してきた。党報グループに多額の利益をもたらしたことで、党報グループの経済的支柱ともなり、発展を支え、強大な活力を与え、社会には多くの就業の機会をもたらし、多くの創業・創富の機会も作りだした。中国における新聞の歴史はまさしく都市報発展の「黄金の20年」だったのだ。

現在、コミュニケーションは新しい趨勢を向かえ、経済もまたニューノーマルの段階に入り、治世もまた新しくなった。都市報はいまだかつてない試練に直面し、形を変えた発展の期間、厳冬期、陣痛期を迎えている。この下落がいつ穏やかになるのか、厳冬期がいつ終わるのかを断言することは非常に難しい。

人々の従来の閲読方式が覆され変革を迎え、新媒体特にモバイル向けの新媒体は人々の主要な情報源のひとつになった。伝統メディアはこの面での競争において日を追うごとに立場が弱くなっていっている。特に都市報などの市場メディアはターゲットの普段の流失に悩まされ、新聞読者は次第に高齢化が進み、発行部数は徐々に減少、影響力、伝播力と競争力が徐々に弱くなっていくことは都市報がなんとしてでも解決しなければいけない問題のひとつだ。

コミュニケーションチャネルの移り変わりと経済下降のプレッシャーが強くなる中で、都市報もまた高い発展から曲がり角を迎え、下降の道をたどり始めた。2012年以来減少を続ける新聞業界の広告収入の減少は都市報にとっても大きな打撃だった。特に2014年以降は二ケタ以降の下降を続け、しかもそれは止まったり勢いが緩くなる事はなかった。都市報はいま、まさに発展における厳冬期を迎えており、決して楽観はできない状況だ。《东方早报》と《京华时报》という代表的な新聞の停刊は、まさに業界の勢いを表す風向計となった。

重圧の下、多くの都市報が自ら道を求め出撃し、次の発展を求めた。しかし収益前提のスタイルにおいて経験と成功例を確立できていない。いつになれば成功といえる発展形式にたどり着けるのかすらわかっているわけではない。今に至るまで方法論で言えばグラフィックに、業界で言えば不動産や車などの大業界に過度に依存したやり方は変わったわけではない。さまざまな試みが行われているが解決はとても難しく、まだ探索段階であるといえる。

発展する時代の背景の下、都市報は概念の停滞、体制構造による成約、技術・人材の流出、生産方式の遅れなどの問題を抱え、発展する時代の新しい要求にこたえることが出来ていない。都市報はどこに向かうのだろうか?

長い間都市報を支えた戴先生がついに都市報を離れることになった。これは都市報時代の終わりの宣告である!そしてひとつのニュース理想主義時代の終わりでもある!著名なジャーナリスト程益中が以前「メディア人にとって最大の困難は外から強いられることではなく、自ら、自分に強いることである」といった。現在の状況を見ると、多くの理想を持ったメディア人としては、ひょっとするとこの業界から離れることが最もよい選択なのかもしれない。

「現実に対する冷淡さと、自分への熱情が大きくなったことに恥ずかしさを覚える(訳注:上記の程益中が以前人物週刊という雑誌のインタビューに答えていった言葉らしい)」という言葉は、多くのメディア人の離別の句となった。まさにあるメディア人が言ったように、気持ちは既に粉々になり、ニュースの理想、専門主義は笑いものになり下がった。

ひとつの時代が終わったのだ!